試論

恥さらしによる自我拡散改善法を中心に

五分前仮説

 じゃあスタンド上げてください。いや、上げたことないから知らないんですけどと思った。このような年齢になってはじめて知る原動機付自転車というものの定義と重み。道路交通法によると排気量50cc以下の一人乗りのくるま。

 なんでも始めるのが遅い。加えてうまくできないし。やろうと思ってから二時間かかる。やりはじめてから一年かかる。一緒に原付教習を受ける三人はみんな小柄な女子大学生たちだったが、車体を起こしたりスタンドを立てたりするときにもたついたくらいで、あとは平気な顔をして乗り回していてすごいなあと眺めながらぼくはハンドルふらふら、でも楽しくてにこにこ。肩幅が狭くヒョロいのでヘルメットがきぐるみの頭部のような三頭身を形作っていてダサい。

 ああいやだ、おじさん。ブンブンが予想外に楽しくてそれを忘れて、教官がたまにいう冗談にのっかってボケをかましたり、そのため全員に引かれたりした。信じられないほどいい天気だった。「止まるときは左足」と教官に言われてもなんども右足をついた。青空に赤の標識が突き刺さっている。最期にみる夢はこんな愉快なのがいい。

 あの真夏の日差しと少し強い風のなか、はじめての原チャで緊張しながら一列で走ったウチらズッ友だよね。

 次の日に思い返してなんであんなに気持ちよかったんだろうプイと冷静になるまで、わりと本気でそう浮かれていた。

 

万有引力

 世界中の子と友達になれる。

 はじめて聞いたときは意味のわからなかったタイトルがいまはよくわかる。それも成長と呼んでくれなければ私は背の伸びなくなった高校一年生から何も変わっていない。走る、汗は流れる。道が混んでいて送りのバスはなかなか進まず、約束の時間に間に合うはずだった電車をのがした。

 改札を出てすぐ力士像の前に立っている小熊が待ち合わせ相手である。写真と同じだったのですぐにわかったが、愛しまれやすいようにその四肢にはわたをぱんぱんに詰めて縫合してある。予想していたより恣意的な入念さだった。

「すみません、暑いなかお待たせして」

「メロメロメロメロ」 え?「ランチ行きましょうということでしたね」

「はい」

「なに食べましょうか。あるのは、韓国料理、インドカレー、タイ料理」

こういう、なにも決まっていない状態のときの態度は人によってかなり差がある。その点このくまは他責的な口調ではなくてほっとした。機械音声のようなニュートラルな語気だった。

「韓国料理いいですね」

「では行きましょう。こっちです」

小さい頃から男はこうあれと言われたとおりに育ったような話し方と身のこなし方ですね。きっとこの人のお父さんもこのようなのでしょうね。三角形のアップリケで表現された眉が真似をしたいほどかわいいです。

 ぼくたちのような種類の人間はお互いに父性を期待することが多いので椅子取りゲームになって初手ごちゃつきがち。この人は確固としており、安心した。わたがつまっている以外は信用がおける。

「音楽の流行は一通り追うようにしてます」

この日行った店のキムチは私の親しんできた味とは違いかなり発酵臭がきつかった。流行りの音楽といえば、YOASOBIとかですか?

「YOASOBIも好きですよ。でも夜に駆けるは……聴いていてつらいのですが」

話すたびに二つの三角形が上下に動くのが、欧米人の表情の作り方を思わせた。

 詞をよく聞こうとしてしまう私は、なぜ心中の歌が流行っているんだろう、うれしい、と若い世代にすこし安心をしていた。(本場の味なのかしらこのキムチ。エスニック料理好きなつもりだけれどキムチとはほんとはこのような味なのかもしれず私は悪い意味ではなくただショックです)が、実際の背景にはTikTokなどの文脈も入ってくるわけで、結局のところ歌詞ではなくてメロディのキャッチーさが売れたということか。共感の時代は終わったのかもしれない。

 原作となった『タナトスの誘惑』に関するYouTubeのコメントを見るにつけても、多くの読者はタナトス希死念慮の比喩としてではなく、ファンタジーノベルの登場人物として見ているようだった。わたしが考えていたのはもっとこう、

「僕はあれをそのままの意味でとらえるとつらくなってしまうから」と小ぐまがいった。「ファンタジー的文脈でとらえてます」

つまり「君」は人間存在ではなく、「僕」を死へと誘うために現れた死神(タナトス)であるという解釈である。

「ぼくも『君』は人間ではないことにしているのですが、もっといやな解釈をしてしまっています。すべて『僕』の妄想なんです」

といいますか、何通りか受け取り方がありますよね。テンジャンチゲは春、mozuさんが食べていた味噌の色のものとは異なり赤くて唇が痛い、じき夏終わる。ひとつひとつにイライラしているあいだに、Y子にもらった植物は、植物好きなmozuさんとの話題のために小さい多肉をねだって新浦安のデカいイオンで買ってもらったあの植物は、むごたらしく枯れた。ぼくはじぶんのことしか考えていない、馬鹿だ。これから平気な顔をして鉢ごと捨てる。会ったらそれがわかるのだろうか。だとしたらもう誰とも会わずに架空の存在でありたい。怒らない、捨てない、いつも笑顔でいる。こどものままでいたい。

 

 

①「君」は実在する人間

(i)「君」は精神的に不安定で、「僕」に求めていたのは救済ではなく、共感だった(タナトスは比喩)

(ii)「君」は破壊的な人格をもっており、もとから心中相手にする目的で「僕」に近づいた(タナトスは比喩)

(iii)「君」は死神であり、人間の体を借りて「僕」のそばに出現した

②「君」は実在しないなにか

(i)「君」は「僕」が見ている幻覚である(君もタナトスも僕の精神が作り出した妄想のエピソード)

(ii)「君」は死神が遣わした人間の形をした霊体である

(iii)「君」は死神であり、他者には見えない

 

「メロメロメロメロ」

「え?」

こういうことが何度かあった。はきはきと話す人のようなのに、たまに壊滅的に聞き取れない。

「コーヒー」この声が何億光年も遠く眩しかった。ショーウインドウ越しにぬいぐるみを指さしてねだるようなことはしない。昔も今もそう。「行きませんか。よかったら」

「はい、もちろんです」

カフェインは水分にならない。テーブルの上にはコーヒーと水が並べられることになった。小ぐまがどちらかを口に運ぶたびにたまたま、

「指が長いですね」

ハーフパンツの布の膨らみの頂点に結露した水滴が落ちる。前腕の毛並みは最初、汗で光っていた。ぼくはストローの袋のよじれかたを研究することに決めた。

「細いから長く見えるだけだとおもいます」

「そうでしょうか。うらやましいです」

相手は肉の継ぎ目がよく見えるような動作を頻繁に繰り返す。こんなことに屈してはいけない。なにか言い返さなくてはいけなかった。

「あなたは耳が丸いですね」

「耳」

「耳が丸くてちゃんとありますね。うらやましいです」

くまなのだから耳は丸くて当たりまえだった。

 ぼくの耳。子宮のなかにいるときに圧迫されていたのできれいにできなかったのだと考えた母は、乳を飲ませながら耳をひっぱって矯正を試みてくれた。しかし髪を伸ばせば隠れるからいいやということでそれはあきらめ、物心ついた頃には女の子のように髪を伸ばすことになった。中学生になって校則で髪を短くする必要が出たときには母も一緒にいやがった。失敗したピーマンのような雑な耳が見えてしまうからだ。

 お母さんもなんとも思わないでほしい、目の悪さも耳の形も歯並びもどうだっていいことだから。じぶんでは顔も形も許せないくせに、母には早く忘れさせてあげたかった。

「このあとのご予定は」

「今日は天気がいいので、お洗濯したいなあと思います」

 《世界中の子と友達になれる》は反語だ。

 小岩駅のホームの下を通っている細い道が見えた。細く見えるが車が行き交っていて、街路樹がところどころ青く光っている。

 兄の持っていた教習所の学科教本を思い出す。五歳の僕は表紙の絵が好きで、いつもその えをみてくうそうしていた。まさに こんなみちだった。あの おくにはなにがあるんだろう。このこもれびはどんな おんどなんだろう。このひとは なにをはなしているのだろう。

 そのひとはね、いまアーケードの下を歩いている。陽と陰を交互に踏みながらしっぽや下腿を眺めている。あたまのなかでは醜い妄想をしている。しかもそれが美しいことだと思っているよ。五歳の君にはわからないかもしれないね、でもぼくにも五分前になるまでわからないよ。

 実際には。なにもないのだ。とふと我に帰ると、悲しかった。この絵は描かれている範囲しか存在しないし、この人たちも当然存在しないし、人格を想定すらされていない。木漏れ日はにじんだ黄色で描かれているから暖かく見えるが実際はただの紙で、指先の温度。なにもなさが悲しかった。そして心のどこかでこの世も同じようにそうだと思いこんでいた。見える部分の紙だけが淡く色づいていて、その外側にはほんとうはなにもない。じぶん以外には誰もいない。触れていたって、在るかどうかもわからない。

 何年たっても同じ独りを悲しがる。どうで部屋干しするくせに。

「なにかやりたいことありますか。自分はこのあとも時間あるので大丈夫ですよ」

駅前でたずねられた最後の確認を思いだす。セーブデータを消去します。よろしいですか? はい、いいえ。

「やっぱり洗濯物が……」内側が冷たく濡れている。股ぐ横断歩道の白線は小さなタイルの寄せ集めで表現されており、かわいい。「早く帰らないと日が落ちちゃうので」

家に帰って愚かな体と向き合う。それだけでかおかたちをそっと忘れることができてしまう。いつものことだった。人間になりたかった。

 地球だけがある。それでいい。汗が冷めて心臓の鼓動が緩やかになっていく。ほかの惑星の引力が近くにあった記憶は尿道を通って排泄されたのだから。軌道に悪影響を及ぼすよ、永遠に枯れない花が咲いてしまったとしたらそのときは。星はまっすぐ進みなさい。たとえすべて枯らしてもまっすぐ廻りなさい。いつか終わるのだから。ひとりひとり終わるのだから。