試論

恥さらしによる自我拡散改善法を中心に

 西武線にはじめて乗る。電車に疎い。

 電車にというかこの世のすべてだが特に地理に疎く、位置関係をつかめない。多分脳がなにかあれなのだ。乗換案内アプリなしで電車にのれたためしはない。土地勘とは結局は知識の累積であるが、そもそも私は知識の必要なことを避けるきらいがある。感覚だけでどうにかなる世の中になれよとずっと腐っている。

 目的地がなければ迷うこともないと、手のなかにある本がいう。目的地もなくさまよっている人はたくさんいるが、この作者のように本を出版することになった人はこの作者しかいない。安田チーフになんて感想を言おう。

 やがて電車が到着したのは建てもののいちいち真新しくつやつやしている駅舎だった。向かおうとしている場所は妖精の住んでいるところを再現した遊び場だったから、その妖精を布や樹脂で作ったものを販売する店も入っている。フィンランドの人は、日本の郊外の駅がまるまるひとつあの妖精のために興されているなどとは知らないだろう。

 改札を出てすぐ前に、複数人で座るのにちょうどいい大きさの木製のブロックが三つ、電子掲示板を囲むように配置されている。ブロックはそれぞれわずかに異なった切られ方をしていて、私が腰かけたのは凸の真ん中を若干低くしたみたいな形をしたものだった。あとのブロックには登山の格好をした高齢者たちが座っている。臀部に伝わってくるかんじで本当は木製でないことがわかった。あたりまえだけど、年輪を塗装で表現してあるというだけで私は、これを木製のブロックだと思わされた。

 お互いはじめてくる場所ではじめて会うために待ち合わせるなんて妙だ。待ち合わせた相手から遅刻する連絡があって、最高だった。私のほうが早く着いていて最高である。自分が遅刻しすぎるせいで他人の遅刻はむしろ最高である。私じゃなくてあなたが遅刻しましたね、最高ですねと思う。待つ時間が一番安らぐという性格のゆがみ。

 文のやりとりで相手に知恵があることはわかっていたから疑いもあった。木製に見せるために塗装しているのではないかという疑いである。

「つまさきをあげている人ですか?」

とメッセージがあって、つまさきをさげた。しばらくしてから黒いマントを羽織った細長い男の人が歩いてきておじぎをした。

「お待たせしてすみません」

「いいえ、どうも遠いところまで」

「おたがいさまです」

歩きはじめてすぐ、その人の衣服から沈香を聞く。

「芋餅はどこの料理でしたか」私はなにがどこの料理かみたいな話も全然しらない。

「北海道などです」

「調理実習で芋餅とはめずらしいですね」

私の最初の調理実習はサラダと味噌汁と白飯だった。絶対に芋餅より実用的。

 そこからバスに乗った。行き先の表示のところになんとかというカタカナの駅名があったのでこれだと思い乗りこむ。運転手がマイクを通して始終なにかしら次揺れますだの右に曲がりますだのという声がとても和やか。それに耳を傾けなければならない私たちにはなにを話そうか悩む必要などない。

 村に着くと、大きな乳母車を押した褐色の女性が、二人の子供たちとバスを降りるのに難儀していた。優しい運転手がうしろの扉が広いからうしろからお降りなさいと言ったあと、後ろの両開きの扉がおもむろに開く。理解した乗客たちは狭い車内を左右に身を寄せて退路を譲った。女性は、前方にむかってぞろぞろと降りようとする乗客たちの足を乳母車で轢きながら逆行する形となる、sorry sorry と繰り返しながらである。初手芋餅の男はこの人を避けながら no problem と正しく発音した。私にも聞こえるように言われたような気がしてこっぱずかしくなり、聞こえなかったふりをした。

 森本レオみたいな喋り方の運転手が大好きになってしまいながら村への門をくぐり、トースターと炊飯器を迷ってトースターをおくということ、またはパンについて論じながら静かな湖畔を半周して、また引き返した。途中、からす、都会の暴力的な目をしたのとは違う穏便なからすが黒い翼を照らせながら日差しに飛び込むのを見た。この人にとっては自然なのかもしれない。 no problem なのかもしれない。

 テラスのパラソルヒータに近い席に座り、昼飯を食べる。相手はシナモンロール、私はビーフシチュー。案外大きい牛の肉が入っていたので内心よろこんでいたら「かなりちゃんとビーフですね」と指摘された。

 ヒータの近くなので、客はこのあたりに密集する。人間より犬のほうが多かった。犬を連れてくることが公式に推奨されているのである。多種多様な犬がいたが、一番多いのはプードルのたぐい。ひどいときなどは我々の横を二匹でカートに乗せられたプードルのたぐいが通り過ぎたと思ったら、また別の人が同じようなプードルのたぐいを同じような押し車で同じような動線を運搬しているのを見て、ふたり笑った。

 てっきり、自分の好きなたぐいの犬しかこの世にはいなくなったような気がすることがある。去年少しのあいだ好きになった人は、プードルやチワワのたぐいが大嫌いだったのを思い出す。あのときも二人公園にいて、私も一緒になって小型いぬのことを貶した。でも私はどちらかというとプードルのたぐいだったのだ、あの人にとって。どうしようもなく愚かだ。

 目の前の人はなんにでも興味があって、ほとんど全部のことを良い良いと言った。天気がいい、犬がたくさん見られていい、湖にいる鳥が潜ったり浮いたりする様がいい、シナモンロールがいい、コーヒーがいい。だから私も一緒になってすべてについてよくなった。

 一通り村を遊歩したふたりは妖精の谷への入り口に立たされたが、その門はあと30分で閉まるというので、入るのをやめた。

 我々は帰るときにふと特別急行の乗り口を見つけ、なんかもう乗ってみたい楽しい気持ちになってしまい、追加の運賃を払ってまんまと乗った。内装も外装も黄色のこの電車ならば東京へはほんの15分ほどだという。数人の仕事仲間とともに前の座席に乗ってきたサラリーマンが「少し倒します」と私に向かって言うのが聞こえてどきっとした。知っている人にするみたいな態度で有無を言わさず座席を倒してくる小慣れた手際に、出発するまえからわくわくしてしまった。そしてその車内でこのあと行く店を提案されて快諾した。

 しそ餃子。紹興酒の味をはじめて知る。差し向かって話しているうちに、だんだん相手の顔がさっきと違うように見えることも。良いことでも悪いことでもないが、いろんな顔をしている人なのだった。いや、良いことでも悪いことでもある。

 店員が高校時代の国語科教諭に似ていた。馬術の試験を受けるために学校を休んだり、そのすぐあとに大病をしてICUに入ったりしていた先生。店の入り口に一番近い卓にはなにやら伝票の貼り付けられた袋が並べられては外から来た男に受け渡され、また新しいのが作り足されていた。先生は「はいごくろうさま」とひとりひとりに声をかけて餃子の袋を手渡していたが、言葉が通じない外国人生徒も何人かいるようだった。東京での、食べ物を配達する機能を利用する人の多さに感心する。

 目の前の人はお酒をよく飲んで、餃子をよく食べた、おいしいおいしいと言った。私もおいしいと思った。少し悲しかった。

 地下にある店から黒い夜に向かって階段をのぼると、ちょうど目の前ではずんぐりと肥えたサラリーマンが、電動キックボードで発進するところだった。後輪の後ろにはケーキに飾るチョコレートの板のような小ちゃいナンバープレートがついている。

 蹴らなくて発進するんだ。ね、はじめて実物見ました。酒の場所から出てきたぼくたちの足取りにいらいらしたのかしら、仕事帰りの別のおじさんが通りすぎざま、どんと肩をぶつけてきた。舌打ちも聞こえたかもしれない。早足で遠ざかっていくスーツ姿のおじさんを、キックボードの法整備について話しながら目で追う。あれ、私は定職に着いておらず、貯蓄もなく、夢も希望もなく、いつ食いっぱぐれるかの瀬戸際である、一方あのおじさんはというと毎日社会の役にたち、相応の金をもらい、あの歳まで生きてきっと家族がいて、今後も大体どう歳をとっていくかの安定的な計画が立っているはずなのに、なんだか今だけは僕の方がうんと恵まれていて、おじさんが死ぬほどあわれだ。

 

 家に帰ると部屋はひどいありさまで、自分のにおいがするような気がした。明日も休みでなにも予定がないのだといったあの人を聞き流してよかった。私は一日外に出るために相当繕わないと出られないほど不潔な巣穴に住む虫なのだから。

 しかしあくる日、我々は同じ鈍行に乗って出かけた。彼はまたすこし遅れてきた。

 雛人形を売る店店を横目にたどりついた建物は正四角柱。とびらを開けて中に入ると、天井も壁も床も曇りのような色をしている。いらっしゃいと言われてよくわからないまま、もとからいた数人の人たちの真似をして、なんとなく歩く。小さな部屋のすべての隅にいろいろな形の、しかし同じ色味の陶器が展示されており、人々はしかもそれらに触ったり両手に持って見比べたりしているから、買うつもりなのである。

 よくはわからぬが芸術家風の女性がふたりいて、客に片っ端から話しかけて器の説明をしている。二人揃って入店したはずなのに、彼は二階に消えてしまった。ぼくは怖くなって、ひたすら陶器らを眺めた。そして見れば見るほどどきどきした。

 陶のもので見たことがあるのは茶碗とか、湯呑みとか、長方形の和皿くらいのものだが、そこにあるのはもっと様々な形のうつわだった。洋食で使うような平皿が何枚も重ねられていて、その縁はどれもぽってりと分厚く、持ちあげてみると指に吸い付くような重みがある。

 二階へ行った人を追いかけて二階に上がると、そこにはマグカップなどがたくさん。その人も今日はコーヒーを飲むものを探しに来たのだそう。ためしにティーカップの持ち手に指を入れてみると、これももっちりとして心地がよかった。

 その横では、小綺麗なラッパーのような風貌の男が広い皿をずっと見くらべていた。深みもあって、使い道がよくわからない器たち。サラダを大盛りにしたら取り分けやすくていいんじゃないの。

「これはなにを入れるんだろうね」

売り手の女性がラッパーにたずねた。

「煮魚」

とラッパーは答えた。ちゃんとした様相でこんな面白いところにひとりでいるくらいだから大人だろうと勝手に思っていたが、にんまりとして煮魚と言う顔を見たらまだ成人しているかもわからない男の子だった。東京だなとおもった。

 私はどんぶりだと思うものを買った。器は白い紙袋に込めて手渡された。コーヒーカップと小皿を買った人の袋にも、私の袋にも、それとは別になにか筒状に丸められた表彰状のようなものが差さって、半分飛びだしている。

「なにを入れるの」

器売りの女性がまた問うので「麺」とだけ言って私たちは店を出た。ドアをしめる寸前までわんたんもいいかもねとかきこえた。

 それから近くの喫茶店にふらっと立ち入る。店のまえに展示されたメニューの見本が、べつに実際の食べ物ではなさそうなのにひとつひとつラップフィルムで包まれているのが変で、入るしかなかった。店内の明かりは窓からの日のみでぬるんでいる。

 サンドイッチを頼んでみれば盆の肩に塩の瓶がのっている。あとで調べて知るまでははじめてのことでふしぎだった。向かいの人に運ばれてきたのは、さっき厨房で主人が卵をとくところから聞こえていた明らかなオムライスだった。それに関してもこの人は、たまごがよく焼かれていていい、とろとろのを食べる気分ではなかったからと、なににつけても良い良いという。私も、塩がのっててなんかいいなと、ハムやらきゅうりやらを挟めた小さなパンをかじった。そのままでもじゅうぶん味がおいしい。塩はいらない。

 コーヒーも濃い。しかしカップの持ち手は磁器のくせに角張っておりなんだかまったく気持ちよくなかった。よい器を知るというのも考えものだ。ほかで満足できなくなるようなこと。

 窓の外! 振り返ると、またぞろプードルじみた犬を胸に抱いた飼い主が、走って通り過ぎるところだった。点滅する青信号が目に浮かぶ。わけのわからない顔をしておとなしくもっちもっちと揺られるプードルの首の動きを真似して、笑った。まるで横断歩道を並走したかとおもわれるほどじっくりと犬の表情を見物できたのは、横長の窓の端から端までを伸びのびと駆けぬけてくれた飼い主のおかげである。

 

 夜、本を読み終えてベッドに入ったぼくは、安田チーフになんて感想を言って返そうか、すこし考えながら目を閉じた。関西の人はほんとうに納豆を食べないのですね。迷子になる作者には共感します。頭のなかで時系列がめちゃくちゃになったときには病院にゆくことでしょう。この作者も病院には行っているでしょうけれど、病気だとは明記していないところが本質のような気がします。私たちはどこでもない場所をさまよっているだけなのです。いつもそんなことばかり考えてきた。あしただれになんていおうか、なんて書こうか、気に入られているだろうか、嫌われていないだろうか。

 ツラちゃんからずっと返信がないのを忘れた。

 たとえばお父さんの親友が苦しみの果てにその闘病生活を終えたとき、お父さんはちっとも悲しそうじゃなかった、だからお母さんは怒っていた。ぼくは馬鹿で、理由を考えるのをやめた。なにも考えるのをやめたことを、ここに書いた。それで許されるような気がした。