試論

恥さらしによる自我拡散改善法を中心に

海水の金魚

 予め、無用な夢をみないようみないようにと清く心がけました。とても寂しかったのを耐え、生きました。おわりにしようかと思うくらい寂しかったのです。

 

 誕生日を迎えたとたん春はおもむろに終わりはじめた。

 自動車は、交差点の中心で意に反し停まる。慣性に従ってハンドルに引きつけられる体。助手席で補助ブレーキを踏んでいる検定員は申し訳なさそうに車外の標識を指差した。

「ここには一時停止の標識があるのですよ」

たしかに交差点の前には逆三角形の止まれが立ちつくして泣いている。なんで知らん顔するの。まえはあんなにやさしかったのに。数秒前に遡るつもりが手が滑って、針を戻しすぎた。

 芝の上に転がり、空を縁どる松の葉がそよぐのをただ観察する。隣で同じ形になっている人のさっきまでの口元の動きを思い返す。口の周りに生やした松の葉が咀嚼のたび、発話のたびに形をかえて目を誘った。最後に清涼菓子をひとつぶくわえて「ミントをたべちゃったりして」と、あの唇は喋った。は?

 

 一時停まりなさい。おまえが見ていい夢ではありません。ただ恨めしく思い、それを書きなさい。わたしはおまえをそのように創りました。

 ……わかっているのに停まれなかった。たまにすべての人を恋しい。

「緊張しちゃった? また来週、頑張ってね」

受付で次週の検定の予約をして帰った。教習所の職員たちがわたしのことを笑っていたのはたぶん気のせい。落とされることに慣れている自分がみじめだ。明らかな理由があって落とされることというのは大人になるに連れて減る。落とされる場合大抵わけもなく落とされるし、わけあったとしても告げられない。おまえは停まれなかったからバツです。とても親切なかみさまだ。

 翌朝玄関のドアを開けると三人の大人が立っていた。どこにも逃げられないように私をとりかこむ。

「こちらに長野裕ニさんいますよね」

もうこの程度のことでは動じなくなってきたなと、感心した。ひとに話しかけるときは普通は自分から名乗るのではないか。あまりいい用事ではないことがわかる。

 いませんというと、大人たちはこうなったらもう絶望というような表情で顔を見合わせ、しばらく何も言わなくなった。彼らの探している人物はここにはもう一か月近く帰ってきていないこと、その間同居人である私にも連絡のなかったこと、彼の荷物も重要なものはここになく、残っているのは服や調度などの生活の抜け殻だけであること、彼がどこに消えたのかは僕にもわからないことなどを説明したところで、

「会社の方ですよね」

と私から尋ねてはじめて、彼らは思い出したように頷き、劇団の人間であることを名乗った。退職した長野裕二が会社の備品を持ったまま音信不通となってしまったので、探しているのだという。

「どこか心当たりありませんか。彼女がいるって話は聞いてたんですけど」

「はあ」たしかあなたがたのところに入社したときはまだ僕が彼氏だったんですよ、それは聞いてないですか。彼女の話はするのに彼氏の話はしないわけでしょ。へえ、バイセクシュアルってそういうことなんですね。「そうらしいですけど、どこにいるかまではさすがに……」

その女性から長野に宛てて送られた手紙を、書類の山から見つけたのを思い出した。自殺未遂をしたあとに書かれたことや、その前後にも何通も書簡のやりとりのあることがわかったが、それ以外の手紙は出てこなかった。ということはだよ。思い返せばすぐ私の手の届くところにあの封筒が見えていたということは、もっと早い段階で私に読まれることを想定しておいてあったということだ。

 ひとつひとつ枯れていくならひとつひとつ、悪い茎を落し水を新たにし、蘇生をしようという気にもなる。すべてが一斉に腐り始めたらそのときは季節が移ったからとうなづいて、朽ちゆくさまを見物するしかなかった。

 

平和島

 床屋がいや。始終自分を見させられる。ふたつ折りの鏡でうなじをはさまれながら「このようでよろしいですか」ときかれるときが最もいや。うなじがどのようならよろしいのか全然わからなすぎる。

 好きなうなじの形はある。ただしそういううなじの人は大抵見返らせたら顔もいいし、骨格もまずいい。顔の皮がいいなら、同じ皮でできているうなじもいいというわけ。つまり正面の鏡で見てよろしくなければうなじ確認用の鏡で見てもよろしくないのだし、それは床屋の技量でどうにかできるよろしくなさではない。だからいつもそれらを含めて「よろしい」と答える。

「マスクをつけてるから髭が伸びちゃうのかな」切り終わり、似合わないひげをからかって床屋のおじさんが言った。

2nd Wedding Anniversary - YouTube

「トニ子、寿司食べたときにきづいたけど、おひげを生やしていたね」

ある夜、夫妻は私に寿司を食わせたあと、黒い袋を持たせ、車に乗せ、東京湾に近いひとけのない公園まで運んだ。寿司を食わされた手前私はものものしい空気を感じて怯えていた。私はこの人たちと工作をしている。ことになっているが、この人たちの工作をたまたま見させてもらっているだけであることを今自覚した。

 公園の広場で、三人がかりでもうまく畳めないほど巨大な黒い布を横に広げて端と端を固定し、壁を作ろうとした。しかし布は風を受け帆と化し、その計画は変更された。

 暗闇に白く丸い結界をつくる。メリさんには羽根が生えている。オレンジの髪と白いフリルが夜のなかにぼんやりと浮かんで揺れる。シガさんはそれを光の法器に閉じこめる。わたしはただ見ていた。

 ちぎれる雲はまるで世界と僕のよう

 この人たちはあの光のなかになにかを創る力がある。わたしはなにもできない。なにもできずに、おいでといわれたら行くし、奏でろと言われたら奏でる。この気持ちがこの人たちにとってどうなのかなんて考えたことがなかった。ただ居場所がある温かさを感じたり、それとは全く反対の孤独を感じたりしてきた。わたしはなんなのかという問いが迫ってくる。

 数日後、やんわりとではあるにしろ、それらの未解決が一度に突きつけられることを知らず、わたしは後部座席から夫妻の会話を聞き、「トニ子が彼氏と別れて色気づいている」この人たちはたしかだなあ、もしかしてずっとこうして過ごすのかなあなどとばかり甘えるのが心地よくて、今回新しい曲の制作に実質的に関与した部分がひとつもないことについてはつゆも思いかえさなかった。血が繋がっているわけではないから、あらゆる人間関係にはやはり方向性が必要なのだった。わたしのふたしかさをあきらかにするできごとがかさなり、その圧力のために体内の空洞という空洞がつぶされているんです。そのようにふたりに話しかけてやめた。

 シガさんの操縦する車は品川駅周辺で工事の照明に惑わされてぐるぐると同じ場所を迷った。海は見えないが街のなにかしらが水面のように反射してきれいだった。

 

 車内といえばまた別の車内で、教習所から出ている送迎バスに乗って帰るところだったが、これから出発するというときに前の座席の女の子が遠いところを見ているのに気がついた。

 視線の先にはその子と同じほどの歳の女の子が、雨ざらしでなにかを待っていた。なにを待っているのだろう、傘もささずに。これから車に乗る他の教習生たちは教官と連れ立って、早足でコースに出ていく。

 そこに一台の教習車が動き出した送迎バスを追い抜いて、待っているあの子のすぐ前に停まった。教官が迎えにくるのを待っていたらしい。

 車椅子の彼女がどのようにして教習車に乗り込んだのか、車椅子の人がどのようにして車に乗るのか、よく見ようとしなかったし大まかにしか想像できない。前の座席にすわる女の子は建物に遮られて見えなくなるまでずっとそちらのほうを気にしていた。

 どこか安心しきっていたその日のぼくにとってだれかがどんな思いをしているかなどは関係がなかった。梅雨の音があやすのに応じて少し眠ることにしようと、なんのためにあるのかわからない無能な目を閉じた。