試論

恥さらしによる自我拡散改善法を中心に

 三年か、何年かぶりに頭のほうがだめになった。なにもかもが怖くなって脳はぐるぐる渦まき、勝手にいろんなファイルを展開しはじめる。吐き気がするぞ。飯を食えんのだ。それは特に困る。少し焦る。半年かけて5キロ増やした体重がもとにもどってしまった。せっかく若くなったと褒めてくれてたのに。パートのおばさんたち。

 

 数か月まえまでの復讐心は躁だったのか。生涯なるべく多くの人物を合法的に傷つけるのが私の使命のように感じていた。のではなく、変化のない生活がただむなしかった。私はまともだ。

 ナントカという零細アプリで、兄の子供のころに似た顔の人とやりとりをした。音楽が好きなんだと。すすめられたカネコアヤノを聞きながら奥歯を噛みしめた。

 兄に似ているということはぼくにも少し似ている気がした、はじめて写真を見たときだけ。2回目に見たときは1回目より、3回目には2回目よりぼくとはかけ離れて見えた。剃ったうなじ、バンドやってる痩せた男がしそうな清潔で無個性な髪型や服装。

 少し音楽の話をしていたが、そういうていだけはきれいにつくろいながら結局、最初からぼくのことがタイプじゃなかったからか返信はすぐに途絶えた。

 

☆ 

 

 死の予感を非現実の鍋で煮詰めたような病的にもやもやしたあの感覚からの遁走の日々だった。もうひと月も経ったとのこと。

 渦中にいるときは息をするのがやっとで、なんなんだこれは、なんなんだこれはとしか思えないが、今外周から眺めればわかる。

 てめえはバグっているそして、この世には同じような人たちがいてみんな生きている。たまに生活との板挟みになっているひともあるがそれは頭だろうと体だろうと運が悪ければしかたない。どんな苦しみによって苦しむか、それによって死ぬか生きるか、どう死ぬかどう生きるかは運だ。今回、お前の場合は大丈夫でした。よかったね。いやよかったの?

 もしまた何度も繰り返したときにはまあ何度も繰り返すだろうけどさ、そのときは同じように耐えようか。神経も命も血も、すべては明と暗陰と陽の循環なのだ。

 いやでも生死、宇宙の摂理に思いをはせることで正常な身体機能を維持できるかいなかは、正気ありきだよね。やっと輪郭のある正気を両手に抱えてそうおもった。

 正気ちゃん、こんにちは。こんどはなるべく永くここにいてね。ほんとやだから。

 

 愛しているよ。

 朝輝のなかまどろんだ。あの子がかわいいねといわれる日。きょうは、あの子があたらしいじぶんを獲得する日。どんなものを売ってでもそれさえ獲得できたなら一生は正しい。

 こんな大切な言葉を、気持ちを、本当に愛しているひとにだけ心のなかで伝えていた何年かがあった。そのひと、というのが実像だったか虚像だったかさあね、しかし確かに愚かなとしつきだった。

 ついぞ渡さずに死んだら体と一緒に腐ることになっていた恋文を朗読しようね。死ぬまでに残された使命が仮に、仮によ、あるとしたらこれだ。循環するのは愛である。なにが循環してるって愛だ。それを伝えるためだけに生きたい。愛しているよ、マイフレンド。

 

 

 さいごになりそうな性行為は実家の近くに住んでいる男との、去年の寒くなりはじめたころの迂闊さだった。

 一度目に会ったときには兄に教えてもらった居酒屋に連れていって酔わせ、その人の家に寄ってすごくフェラチオをした。しっかりした電子ピアノ、プラスチックのトロンボーン、テナーサックス、バリトンサックス、狭くていいにおいのする部屋。とてもフェラチオをした。

 二度目に会ったときもどこかで酒をやってから圧倒的流れのフェラチオをした。

 学生のころから吹奏楽が大好きで、社会人となってからはゲイの集う楽団に入った。そこにいる人と付き合ってもう何年になるか、たまに聴きにきた母親からはまた同じ人と二人でソリストなのねと言われる、その人が彼氏だよとは言わないものの、母親は気づいているのかも。

 糞ドブゲロ袋、人生わかったような顔しやがって。見た目もさしてよくないくせに。念の強まり。このままだと高価な楽器を破壊したり凶器にしたりしかねないと咄嗟の判断で僕は、相手の男性器を、じぶんのなかに挿れさせることにした。

 しっかりとした気持ちでいたい

 自ら選んだ人と友達になって

 穏やかじゃなくていい毎日は

 屋根の色は自分で決める

 あなたたちっていつもそうだね。繊細で中立的な人間賛美を、自分の感性を装飾するために利用するんだ。

 接合したまま抱き合い、打つ手のない不能を悟った。ただ目を閉じて感受性の器官で包孕する。癒えにくい傷を残したかった。ものを壊したり怪我を負わしたりすることのほうが容易なのに、私は馬鹿で傲慢だから一番柔らかく悲しい部分を刃に見立てている今。そんなことできる質ではないのに。

 どんな気持ちで生きてきたか、生きているかも知らないくせに。なにも知らないくせに。なにも知らないくせに。

 またやりましょう。またやりませんか? また会いませんか? 今度飲み行きませんか? 一番気持ちよかったんです。なにも知らないくせに。

 😄😄😄

 😂😂😂

 😭😭😭

 🥺🥺🥺

 😀😀😀

 🙂🙂🙂

 🙂🙂🙂

 🙂🙂🙂

 🙂🙂🙂

 🙂🙂🙂 

 生きることの本質は残す、時間に逆らうということだ。時間にのまれてただ死ぬはずの命は遺伝子を通じて残り続ける。この体が朽ちて有機の路を循環してゆくこともまた、時間への逆行である。ありがたいことに人間には、我々にはそれぞれ、それ以外の様々な方法が用意されている。残すものも残す方法も人それぞれなのだ。

 ほんとを言うともう何年も愛を知っている人たちのことが、ひとりになったこともないのに愛をわかってしまう才能ある人たちのことが、ただ憎いだけだった。単純なひがみです。ぼくには一生わからない。

 体と気持ちは螺旋を描いて暗いほうに落ちていく。この肉体はただひとり分解されるのだ。あっちへいったりこっちへ行ったりしているようで、実は同じ動きの同じ場所での繰り返し。一か所で回転しながらも、命の終わりの水底は着実に迫ってくる。

 もうこれ以降、光さす波間に棲むあの人たちに私の言葉が届くことは、ないんだ。

 

こたえ

 数日前から左まぶたが腫れている。まばたきをするときにまぶたの厚みを感じるなんておかしい。多分ずっとこのままなんだろうな。ずっと目が腫れてしまう病気にかかった人の立場にたって、一度そう思った。

 住宅街に挟まれた川を流れに逆らって歩いてゆくとなんとか小という小学校があり、その近くには、こんなところに……こちんまりとした自転車屋があった。こちらに越してきて一年になるが病院にも服屋にもまだ行ったことがないから生活に必要な物の位置関係に興味がなく、建物のほうから急に現れてきたみたいに意外だ。

 一面ガラス戸の店正面の外側には、新車がずらりとならんで、様々な材質のしなやかな曲線が夕陽を薄橙に反射している。ガラス越しに店内を覗いてみると、薄暗くてよく見えないが、幽霊のような自分の顔がげっそりと映ってしまったそのおくには、高価なクロスバイクとかロードバイクというやつたちがひっそりと暇をしてる。ああいう高級なのは直線的でいかにも速そうでまあ月並みのかっこよさだが、外におかれているママチャリはくにゃくにゃした形をしていてなんだか愛嬌がある。このひとたちの曲がった腕の部分はどうやって作るのだろう。

 そのなかから特にかわいいと思ったやつをにさん個選抜し、行きつ戻りつ眺めた。すると店内から店主がやってきて、どうですか決まりましたか。ああ、ええと、どうしようかな。

 どれでも同じですよという顔をされてないかなと不安で、店主の顔色をうかがった。マスクをしているので定かではないがなかなかの男前だった。私は機嫌がよくなって、もうべつに自転車はどれでもいいなと思った。

 こちらなんかはどうでしょう、最近主流のライトが接触しないタイプ。そう言って指さされたのは、さっき選抜したなかの一台だった。そうか、おまえはライトが接触しないタイプなのか。このタイプの自転車は前輪にも優しいらしい。前輪に優しいと手前にどう利益があるのか知らぬが、なによりおまえは色がいい。クリーム色のようなベージュのような、いやグレーともいえるようななんともいえず控えめながら個性的な色をしている。かっこいい店主もすすめていることだし、もうこれしか考えられない。

 つくづく自分のない人間である。ぼくは人間的深みを出すためにそれからしばらく悩んだふりをしていたが、実際どれでも同じなのでそれにした。店主はそれを店内に運び入れると、ちょっとそこに座っててくださいねと言いながら、素晴らしい手際のよさでペダルやサドルの部分を組み立てた。

「この近くを通ったときにはたまに寄ってくださいね。いつでも整備しますので」

そういうことを言われると本当にたまに寄りたくなってしまう。

 

 市役所までは電車とバスを使わなくてはいけないと考えていたが、新品の自転車に乗ったら10分程度だった。晴れた日だったのでとても気持ちがよかった。

 さまざまな用事で集まった市民たちと一緒に椅子に座らせられた。この人たちがみんなで社会を回している。私もそのひとりのような顔をしておとなしく座った。いらっしゃいませ、お客様は今日はどのようなご用で。市役所の職員って、むかしはこんなに丁寧じゃなかったと聞く。お役所仕事という言葉があるくらいだし。ところがちかごろはほんとうに優しい。

 なにをしに来たかといえば、個人の識別番号が記載されたカードを受け取りにきた。20年前の日本人はこのような施策を想像できただろうか。ひとり一台コンピュータを持ち歩き、すべての人間に識別番号が振られるようになった。あとはどうなるか。

 このカードを受け取るときには、顔写真と本人の顔が一致するか確かめるためにAIによる顔認証を行う。私の先に顔認証を受けている男性は、どうやら中東系の外国人だった。何度かカメラを向けても認証されないらしい。職員たちはなにか言いずらそうな顔をしている。

 あのう、写真のほうはお髭を剃ってあるのですが、いまはお髭を伸ばされているので……。

 中東系の外国人は「えーっ」と言って頭を抱え込んでしまった。顔写真の条件のなかに輪郭がよく見えるようにとかなんとかいうのがあった気がする。指示通り剃ったら剃ったでこうなる。なんだかかわいそう。

 やがてぼくの番がやってきて、職員は透明な仕切り越しにカードをこちらに見せ、あなたのですねと言った。ほんとうに酷い顔をした写真が印刷されている。はい、私です。殺人犯の顔をしていますね。よく、威厳のある顔つきの人を怖そうな見た目などと表現するが、私の場合はそういう意味ではなく、ほんとうに狂っている人の不気味な相をしている。ずっと見ているとこっちまで頭がおかしくなりそう。

 そんなことを考えている間に顔認証へと進んでいた。うーん、と職員が首をかしげている。どうやらなんど試しても、同一人物だと認識されないらしい。それはそうでしょう、私こんなひどい顔じゃないもん。

「まあ、どう見ても同一人物なので、お渡ししますね……」

職員はこっそりとした手つきでカードを渡してきた。さっきの外国人みたいにえーっと叫びたい気持ちだったが、これが私の顔なのだ。後生つきあっていかなくてはならない私の顔なのだ。

 

 そこからバイトに行って一日が終わり、夜道というものも自転車で走ってみることになった。道というものにどうも疎い僕は、いやただ頭が悪すぎて方向音痴なだけなのだが、スマートフォンの地図のいうとおりにただ自転車をこいでいた。

 その途中、わけもわからず、叫びだしたくなるほど懐かしい空気の場所があった。四車線をまたぐしっかりとした歩道橋をくぐったあたりである。遊戯する施設や飲食チェーン店の大きな看板を最後にがらんとして、昼間に自動車を展示しているが夜にはあかりひとつついていない自動車を売る店ばかりがつらなっている。

 そのまましばらくすると右手に、信じられないくらいでけえクソデカ集合住宅が現れる。夢の国で見た夜の港町と同じ色だ。敷地内のあらゆるところに光源が埋め込まれていて、遠くに小さく見える数十数百もの部屋の扉や、廊下や階段の構造を、きらびやかに浮かび上がらせている。宮殿じゃん。そういえば中学生のころの私がここを見たときも同じことを思ったのだった。

 

 飯田先輩のような人がヒーローに見えた当時の私はそれだけ田舎者だったのだろう。頭がとにかくよく、頭がいいということはなんでも器用にこなす余裕があり、教えてもらったのはたまたま打楽器だったが、この世のことならなんでも知っていそうに見えた。スポーツもそれなりにできたから体育教師からもいじめられなかったし、学校中の全員と顔見知りだった。頭の悪そうな女の子とばかり付き合っていたのは、当時のぼくにはよくわからなかったけど、いまはなんとなくわかる。

 

 その人をストーキングしてたどり着いたのがこのクソデカ宮殿だった。ただのバカデカいマンションなのだが世間知らずの私には目が眩むほどデカかった。飯田先輩のような上級国民だけに許された場所なのだな。住む階層が違うお人なのだな。そう思って、飯田先輩を慕うのはやめた。

 へえ、ここに繋がっていたんだねえ。先輩いまはなにしているだろう。

 思い出の場所の位置を再確認できたのもうれしかったし、四半世紀も同じ場所で産声をあげたりフェラチオしたりうろうろしているだけの生き様にもがっかりと笑ってしまった。

 

 

 作りかけの花壇がある。ホームセンターの裏側の駐車場の、だれにも見えない片隅に。

 ぼくがその道を歩いたとき、肌の黒い外国人が、花壇を一から作っている最中だった。

 煉瓦を円の形に並べて、その内側を土で埋め、鼻歌まじりに均している。この小さな小さな円の内側にはこれから、色とりどりの花が植えられる予定である。

 やがて人類の営みを祝福して僕たちは、だれかが植えたその花のまわりを、だれかが敷いたその煉瓦のうえを、愚かな環になり舞踏に耽る予定である。