試論

恥さらしによる自我拡散改善法を中心に

偽善永、偽善美、

 春、一年五組の教室。窓際の席ですべての休み時間を袖に顔をうずめたまま過ごしていた。自分のことが嫌いだったし、みんなも私のことが嫌いだった。だれとも友達になれそうもなかったし、だれともならなくてよかった。

 

 クラスにはちょっと有名な女の子がいた。中学のころは芸能事務所に所属して某アイドルグループで練習生をやっていたが、勉強を優先するために高校入学と同時に退所したらしいという話が、友達のいないぼくの耳にも入ってくるほどだった。インターネットにはその子の写真がいまでも無数に残っているので、一応見てみたこともある。どの写真も別にかわいくなかった。でも誰かにとっては天使なのだ。名もないだれかにとって。

 ある日の休み時間、机に埋まったまま動かないこの男子生徒のところまで、彼女は友人と一緒に歩いてゆき、しばらくくすくすと笑いあった。それから、男子生徒の後頭部に手を伸ばし、髪を軽くなでた。

「かわいい。かわいい」

あのとき小さな声でつぶやかれたのを僕は忘れた。それからあの子と会話することも、友達になることも、顔を見ることもなかった。

 

 

「こんにちは。大花です。突然すみません😂」

「あら、こんにちは。どうやって登録したのですか」

「上柳さんに聞きました。いけませんでしたか?」

「いいえ、大丈夫です☺なにかご用事でしょうか」

「特に用はないんですけど、LINE知りたかったので😂」

「そうですか。変ですね😂」

「面白い話が聞けるかなと思って😌」

 

ジェンダーフリー

 器量が悪い。たゆまぬ訓練と優しい人々の憐憫と肯定のおかげで鏡を見ることができるまでになったのは褒めたい。美しい人が好きなのは、彼らと過ごせば自分も美しくなれたような気がするからだ。

「はじめまして。僕は友達がいないです」

「僕と友達になってもらいますか」

「僕は男性と愛したいです」

不自然な日本語のメッセージが送られてきたとき、私は即座に外国人だと思って「どちらの方ですか」「日本の方ではないですよね」「なぜメッセージが不自然なのですか」と繰りかえしたずねたが、その人はそういう質問には答えを伏せたり、「日本人です」と答えたりするだけだった。会いたいとかいつ暇かというようなことばかり送ってくる。

 この時点で日本語が不自由なのは言語以外の理由によるものかもしれないという憶測が浮かんではいたのだが、私だって表に出したくない自分を晒してまで出会いを求めているという環境下にあるのでそこでつい詰問してしまった。質問には答えてください。なぜ日本語が不自然なのですか。

「僕は耳が聞こえです。話す言葉がわかんない時があるので今まで黙ってほんとうにごめんなさい」

 そうでしたか。

 言ってくれてありがとうございます。いやな気持ちにさせたらすみません。それは心から思った。

 このあと、会おうという旨のつたないメッセージが執拗に続いたとき私は、この人は自分の耳が不自由なのをいいことにやさしくしてもらうつもりなのだと洞察するほどは性根の曲がった人間ではなかったので、なんとなく承諾してしまった。

 

 私が生まれた町よりも東京から遠いのに全国的な知名度では上位にある、数駅となりの地方都市で待ち合わせをした。

 会おう会おうの口車にのせられてなんとなく会ってしまったことは今までにも何度かあった。はじめて会った男の子も、その次に会ったおじさんも、思いかえしてみれば別に会いたくないのに会わされていた。そのときはただ同性愛者と会うということが愉快だったので平気でそうしていたのだけれど、しばらくすると好きでもない人に時間や若さや感情を道具のように消費されるのがいやだから、単に興味の惹かれない人や性欲だけ衰えない老人をへいきで弾くようになった。

 現れた男に挨拶をすると、顔を見ずに済むようにすぐに歩き始めた。男は終始話し続けた。難聴者とどのようにコミュニケーションをとればいいのだろうと思案していたのだが、杞憂だった。なるべく親切な相槌をこころがけるしかない。

 彼の話はひとつの主旨に安定せずにさまざまなところに飛んだ。「私は男性を愛したい」と繰り返している。話すことばはつたないけれど、私の知っている難聴者たちより話せているし、こちらからの発話もよく聞こえている。対人関係でなにか問題があるとして、隠してまでとり繕うべきなのは聞こえないこと自体ではないのかもしれない。

「ねえ、安いホテルとか知らないの? ホテルは高すぎるから、エッチする場所がないの」

彼がなんの脈絡もなくわりと大きい声で言い始めたのはショッピングモールの真ん中だった。ぼくはできるかぎり他人のふりをした。

 

 包み紙が油を吸いすぎて、もはや手のひらに染みだしてきている。ファストフード店で向かい合って座り食べ方や話すことの不潔さを見ながら相手の話に相槌をうっているうちに、この世のいろいろなことの不条理を感じて気が滅入り、食物をひとくちも受け付けない体となった私は、彼と別れたあともエビカツバーガーを握ったまま帰りの電車に揺られていた。この会合は一時間でしまいとなった。

 女性は怖いから、男性のほうが好きなの。男性は優しくしてくれるから。だから男性とエッチとかをしたいんだけど、場所がなくて困ってるの。ホテルは高すぎていけないし、家には職員さんがいるからほかの人はあんまり入れないし。

 ぼくは性欲を持て余した人を見てあわれだとおもって、たずねた。「実家には帰らないんですか」優しい人々が僕に勇気を与えるような嘘をつくときはこんなふうに、あわれに思ってくれているのかもしれない。

 あのね、お父さんは死んじゃってるの。それでお金がないから、お母さんから縁を切られてるの。お母さんに会いにいったら、市役所の人がもう会っちゃだめだって。もう実家のところにお母さんはいないの。どこにいるかもわからないの。

 彼の言葉には境遇を嘆く響きは多少あっても、自分の欠点を述べるような一節はすこしも含まれなかった。相手からセックスの誘いを断られるのは、場所がないから、時間がないからだと本気で信じているみたいだった。ゆえに、たしかに聞こえていないのだと判然とした。わたしたち、少なくともわたしは、聞こえなくてもいいものを聞きすぎてきたから、他者から見た自分を常に意識して生きることを余儀なくされているのである。歩く、話す、どの動きひとつとっても文化の規範に倣っていることがあたかもひとつの美であるかのように。

 宮本くんのことを思い出した。まるまるふとった体や人懐こくかわいい笑顔。ゲイアプリで彼のことを見つけたのは、ぼくが留年を理由に難聴者補助の学生ボランティア団体から籍を抜いてからすぐのことだった。

「トニーさんも好きな容姿の人に近づけるように工夫すれば、ゲイライフ楽しめると思いますよ。こっちのひとは似た見た目のひとと一緒にいることが多いんです」

彼からのこのメッセージをぼくはきょうまでずっと恨んできた。

 しかし、電車のなかでエビカツバーガーを握ったままのわたしは、この恨みかたのねじれを実に3年近くもへてその日、明らかにしたのだった。語彙に気をとられて宮本くんの伝えたかった意味を感じとるまえに湧いてきた被害感情であったが、それはやっと解消された。

 難聴者である宮本くんがただあたりまえにほかの大学生と同じようにホモをやるために要ったかもしれない相応の研鑽を、やっと想像できた。聞こえすぎるわたしたちがあたりまえに習得できた世間のしぐさを、彼にとれば異文化を学ぶ気持ちで身に着ける必要があったのだとしたら。そのまっすぐな努力がただあたりまえに生きるために必要だったから、その道を通ってきた者として、愛され方を説く権利があったのだ。わたしの浅薄な偽善などは容易に貫通するほどの権利だ。

 手を差し伸べるのであれば、生半可な気持ちではいけない。

 あなたは恵まれなかった人と本当にまっさらな気持ちで向き合えますか。その人が恵まれなかった人だという認識はほんとうにあなたの行動に影響を及ぼしていませんか。健常であれば路肩に掃いて捨てていたかもしれないいきものを不具だからといって大事に扱ってはいませんか。ほんとうに今の一文を責めることができますか。ぶさいくな人間だったらすぐに遠ざけるのに、ぶさいくなのが犬や猫だったら餌までやって可愛がるのでないですか。

 そしてあなたが手を差し伸べなくてもほかの誰かがいて、必ずひとりにひとりぶんの愛がこの世には準備されていると都合よく考えてはいませんか。そんなわけはない。そんなわけはありません。だれからも見捨てられたまま生きているひとは無数にいる。かならずいます。いつかだれにでも無二の友人がみつかる、いつかだれしもが運命の人と出会える、などという無責任な言葉たち。

 空気が刺す。どこか古びた感じのする街の構造ひとつひとつが水銀めき、空の曇りを反射する。この世のすべてが毒に変わってしまった、しかし思い返してみれば実際には、生まれてからずっとすべての人はひとりだったし、たしかにすべて暗澹だった。ずっとずっと見てきたじゃないか、ただそれにいま気づいたりまた忘れようとして笑ったり、忘れることに成功して生き延びたり、しているに過ぎないという、どこまで逃げても免れられない毒がすべてを冒す。

 改札を通った瞬間見えた666、Suicaの残高。発作的な不安はいつもささいな不気味さからはじまる。

 

天使a、天使b、

 昼、目を覚ましたら出勤時間を過ぎていたので、とりあえず布団に寝たまま電話をかけたら店長が出た。

「まいどありがとうございます、スーパートンプク○○店、高木でございます」あ、私ですと名前を述べると「お前さっき放送で呼んだ。今どこ。レジ混んでるからダッシュで来て」とだけ言われ、通話はきられた。よかった。もう必要ないので家で寝てていいよって言われなくて。

 消費されている。

 

 バイト終わり、たまに、夜シフトの末っ子平井くんと、帰りの電車に乗るまでの20分間を過ごす。静かで濃い夜道には両側に等間隔に立っている街灯のひかり以外なにもない。

「髪、きった」

平井くんはこちらが黙っていると永遠になにも言わないので、適当に話しかけてみる。

「はい。すごく長くてうっとうしかったので」眉にすらかかってなかったけど。「すぐぼさぼさになるんですよ」

へえ。そうなんだ。

 うれしいことだった。平井くんは最初、表情が硬くて容易には心を開いてくれない感じがした。インテリジェンスの孤高さのようなものを細く小さな体にまとっていたので。そんな彼が、あたりまえのように会話のつなぎに「すぐぼさぼさになる」という、自分の髪質についての情報を与えてくれたのは、このときがはじめてだった。

 笑うところをなかなか想像できないほど無表情な人だったが、毎日神経をやわらげるような言葉をかけつづけたら、次第に彼も冗談に笑ってくれるようになった。勝手に達成感を得つつ、この笑顔がぼくだけに許されたものだったらいいのにと思ってしまった。

 平井くんが国立大生であることが知れ渡ってしまったときから、ぼくは平井くんの密集した真っ黒な髪をなでたくてしかたがない。頭がいい子の頭を撫でたいおじさん。とても短絡的だね。

 寒いね。風が冷たいね。ホームで電車を待ちながらおもむろに手を伸ばしてみれば、案外いやがられないかもしれないと思索する。男同士だもんな。短くなったね。動物のような深い毛並みのあたまのてっぺんをくすぐってみたい。やさしく摩擦したい。毛髪の流れが指先に対してかすかに反発するのを想像しただけでよじれる。ほんとうは体中さわりたい。きっと童貞だ。どこもかしこも柔らかくて敏感にちがいない。君はちゃんときれいだよと教えてあげたい。童貞じゃないならなおさら良い。甘く、言葉をためらうようにいつも恐る恐る発される低くこもったその声が、かつてだれかの耳元でささやかれたかもしれないと考えるとそれも切ない。

 

 美人で頭のいい大花さんならはじめから知ってたと思うけど、人間は見た目じゃないよね。

「あの方はなんという人ですか🤔 お名前を知らないのですけれど」

「だれのことですか笑 情報が少なすぎませんか?」

「私達と同じ時間にのぼり電車に乗って帰る、シャイな雰囲気の方です。伝わりますか😌」

「それは平井くんです」

それは平井くんという子です。

「平井さんというんですね。覚えておきます☺」

ごめんなさい。汚くて、つまらなくて、みじめで、愚かで。

 

 もしも私があの子のように、器量良く天使のふるまいを身につけた女の子だったなら、平井くんの頭をきっと思い通りにできたのに。「かわいいね」と言って、撫でる権利もあったのに。

 いや、果たしてそうだろうか。

 まもなく一番線に電車が参ります。同時に二番線にも電車が参ります。さようならをしなければいけない。

「おつかれさまでした」

「おつかれさまです!」またね? またあしたね? 勉強がんばってね? かわいいよ? ありがとう? 全部言いたい。

 でも反対の電車に乗り込めば、いつもすぐに冷静になれた。

 なにもさみしくない。だれも孤独じゃない。行き先が違うようなものだと思えば、なにも。

 死。