試論

恥さらしによる自我拡散改善法を中心に

あなたは生きている

 言葉はどれほど正しい表現を用いても理解されないことがある。それならばと強い言葉で叩けば野蛮で愚かだ。人々は耳をふさぐのでなお理解されない。透明な矢の根は予期されうるどこにも傷をつくることなく、健常者たちの冷笑のなかをみじめに突き抜けてゆく。
 嵐は去った、ただしこの地から。
 

 


Today
 夢の国におもむくたびに思う、小1のときにはじめてここに来たときはもっとキラキラしていたのに今はなんだかくすんでみえる。
 それ自体じゃなくてそこにいる人、それを作っている人ばかりに目が行ってしまう。キャストとゲストだけに気が行ってしまい、アトラクションやショーはあまり興味がない。僕はここに向いてない気がする。
 小さいころ兄と一緒に来たときはもっとみんなの笑顔がキラキラしていた、たぶん。このひとたち、こんなに人間じみていたかしら。国王の魔力の皮膜を、この仕事が終わったら彼らにも当たり前の日常があるのだという現実が、もはや突き破っている。
 なぜだかわからないけど、キャストは私のことを嫌っている。私が話しかけたりすると苦手な人に接するときの顔をする。それで私は推測した。なぜなのか。
 たぶんキャストのほとんどは、心のどこかでは無理をしながらも世界観の邪魔をしないようにと役になりきっているのだ。たまに心の底から夢の国の住人になってしまっている人もいて、そういうひとは私のような人間が話しかけてもイヤな顔ひとつせずにスマイルをくれるハハッ!! ただ、そうでない、正気を保っているキャストについては、前述のように私のような人間と接触するのを恐れている。
 さて、私のような人間とは一体なにか。今回の旅でそのこたえがやっとわかった。
 
 旅の同行者は高校時代の先輩Yちゃんとその従弟のTくんだった。
 Yちゃんが「なんか行きたいね」というので「まあ、うん」とこたえたら、いつの間にか日程とメンバーが決まっており、朝一で国境をまたぐことになった。
 門をくぐってしばらくして、Tくんが誕生日だったので、誕生日シールをもらおうと女が言った。彼らが最初に声をかけたのが掃除をしているおじさんだったのだが、反応も「あ、はい。ちょっと待ってくださいね。いま、書きます」という感じだったし、ふつうの文字で「T」と書かれただけのシールを渡されたのが気に入らなかったのか、「ねえもう一度ほかの慣れていそうな人にやってもらわない?」ということになった(こいつら最低だな)。
 誕生日シールが得意そうなキャストといえばどんな人を想像しますか。掃除をしているおじさんの反対。見た目のいいお兄さんだ。
 見た目のいいお兄さんがしかも暇そうにしていたので、三人で走っていった。
 あれ?
 Yちゃんが「誕生日シールください。あとTodayください」と言うと、お兄さんはにっこりと笑って、シールに名前と日付を書き始めた。結構手のこんだ装飾をつけてくれている様子である。あとの二人が期待に胸を膨らませて完成を待つあいだに、ぼくはさっき感じた違和感の理由に気づき、王国は瓦解した。
 

 ☆


 八柱会(やはしらかい)の面々と会うのは大学四年の、卒論をばっくれて留年が確定したころだったから、もう一年と半月ぶりのことだった。今回の飲み会は我々のなかで最も世間に溶け込めている印象のある滝くんが催したものだった。
 居酒屋の個室の卓を六人で囲んで、ほんとうに久しぶりだね、いまはなにしているのなどと言い合う。高校生のころなら考えられないほどまともな会話。いまはみんな仕事をしているんだもの。理系卒が多い、お金もいい。この人たちはおかしかったから、ぼくを仲間に入れてくれた。
「さあ、一番聞きたいんだきみの話を俺たちは」
滝くんがそうやって話の流れを掌握する。みんなぼくのほうを見て、なにかいつものようにぼくが予想のつかないことを言うのを期待している表情をしている。
 そして、この人たちのおかしさは、ぼくのおかしさとはどこか違う。
 だから、この人たちと会うのはいつも少し憂鬱だった。教室のだれとも混ざれずにいるぼくの周りで、ぼくの知らないアニメや漫画の話をするこの人たちは、とてもやさしかったけど、同じじゃなかった。好きなものの数が最初から違うのだ。この人たちが好きなものをぼくは好きになれなかった。
 この人たちが好きなものを追いかけたり、好きな人をひとりに定めたり、好きなことを仕事にしたりしているあいだも、ぼくはずっと対岸で燃える憂鬱な炎ばかり指さして馬鹿みたいにわめいていた。歩くべき正しい道があったかもしれないのに迂回した。
「実は男の人と暮らしています」
みんなはいつものように大きな声をあげたり、かといって言葉を失うほど驚いた様子でもなく、すこし不思議そうな顔をしていた。
「それは同棲ということ?」と滝くんに聞かれて、ぼくはうなずいた。「いや、いいと思うよ。素晴らしい」
滝くんに続いて、僕の同性愛は口々に絶賛された。すごいなあ、同棲かあ。いつごろからそうだったの? もったいない気もする、一番女受けしそうだったから。女装とかはしないの? どっちが攻めなの? 俺最近女装に興味があって、髭脱毛しようと思うんだけど。
「そうだ、写真撮りたい」滝くんの言葉だけはいつもだれかの返答を必要とした。それが彼の話術だった。「俺二人の写真を撮りたい。よくない? あのさあ、二人が暮らしている部屋に俺が行って、なにも言わない、なにも言わないから、ただ写真を撮らせてもらいたい」
「そんな写真、プロにお願いできないよ。お金ないし」
「いや、もちろん金はいらない。ただ、個展を開きたくて、そこで展示できたらいいかなって思ってる」

 
 ☆

 Yは隙あらば彼氏の話をしていた。もとは女友達の彼氏だったのをYがとったのだ。二人が付き合っていることはその友達は知らない。
 Yは最初のうちは(それも本当かどうかわからないが)罪悪感を感じる、どうしていいのかわからないと悩んでいるようなそぶりを見せていたが、最近は彼氏の顔や性格を褒めてはばからないようになった。
 この子の話がぼくにとってどうでもいいのと同じように、ぼくの話もこの子にとってはどうでもいい。
 上から安全バーが降りてきて、いやおうなく体が固定される。ゆっくりと前進を始める。目を閉じる。
 あのキャスト、出会い系アプリでぼくのことをブロックしたホモだ。足跡をつけただけでブロックされた。別に特に気に入っていたとかそういうことはなく、ただ位置情報が近かったので足跡をつけただけなのだけど、ブロックされた。
「お誕生日おめでとうございます、いってらっしゃい!」
Tに誕生日シールを手渡したときの彼はとてもきれいだった。歯が丁寧に生えそろっていて、輪郭が左右対称で、清潔そうな瞳をしていて、少年のような笑顔で。でも確かに、ぼくのことは見ていなかった。仕事ですら目に入れたくないのだと思う。でも別にそれはどうだっていいことだった。だれにだって目に入れたくないほど嫌いな見た目のひとがいるかもしれない。
 レールの上を滑っていく速度が頂点に達するとき、かならず『ファイナル・デッドコースター』の冒頭の、ジェットコースターの事故でクラスメイトたちが死ぬシーンがフラッシュバックする。だれかのデジタルカメラが手から落ちて、ストラップ部分が車輪に絡まる。バランスを崩した車体は暴走し、投げ出された乗客はレールの構造部分に叩きつけられて死ぬ。
 そんな映像が頭のなかで再生されても、ちっとも怖くないのが、まえから不思議だった。でもいまはわかる。死んでもいいから怖くないんだ。
 ぼくはからっぽで、はじまりからきっとさいごまでからっぽなので、それが体のそとから見てもわかるのでしょう。そういう人間なんでしょうぼくは。魔法が存在するこの王国にも正しい道徳があって、ぼくはそれにそぐわないので、すべての民から不快に思われている。あの街でも、あの店でも、この国でも。
 一緒の電車に乗っていた滝くんは降りるときに「じゃあね、絶対連絡するからね」と言って手を振った。それから連絡はない。手を振り返したときにふと彼の髪や目が茶色いことに気が付いた。
 滝くんのお父さんはカナダ人だ。カメラの専門学校に進んだ彼は卒業後その関係の会社にカメラマンとして就職し経験を積み、最近独立した。彼女は高校の同級生だった子。絵のうまい女の子。
 ぼくは死んでもよかった。そのかわりこのスピードのまま夜に飛び出して、真空の尾を描きながら美しく傲慢なすべての人たちの心臓を貫いて光り、最果てで四散したい。
 
健常者
 ぼくたちのまえを若い頑強な男たちが数人で歩いていた。よく似た体つきをしていたので、全員同じスポーツをやっている仲間であると見た。
 彼らのひとりがトイレに寄り、集団はそこで歩みを止めた。ぼくもたまたま同じトイレに入った。
 彼は小便器でも大便器でもない方向に歩いていって、服を脱ぎ始めた。広い背中には衣服の形に日焼けの跡があった。端正な顔だち、不自由なく成長した四肢、逞しい胴体。
 そして、心なしか周囲に目をやりながら、おそらく腹部のあたりに開かれた人工器官から排泄物を処理した。彼はオストメイトであった。
 正義によって放たれた矢だけが、無関係の人間の腐った性根を優しく刺すことができる。