試論

恥さらしによる自我拡散改善法を中心に

halo, a semi-transparent envelope

 ほら、いやな夢からやっと覚めたのに頭が痛い。それから動悸と吐き気がする。寝ているあいだに片頭痛の発作があったらしい。現実になってくれるのはいつも悪い夢ばかりなのですけれども。

 目を開けるとそこに男がいる。これは、よくいう他人と同居することの難しさとはちょっと違うんです、言い訳ではなくてほんとうに。一般的に発生しやすいわずらわしさについてはお互いうまくやっているほうだとおもうのである。

 あのころ、毎日が悪い夢のなかみたいに感じられて、脳が精神に破壊されていく感覚におびえていたあのころ、家族のことも、自分の人生のことも不気味だった。全員頭がおかしい。あれに似た空気がいま、ふたりだけの部屋にもある。「宇宙人になった気分」。 

 昼に起きてバイトに行く。彼氏と住むために引っ越してしまって、先月から電車通勤になった。本数が少ない私鉄に乗り換えるのでなんやかや1時間はかかる。バイトが終わって家に着くのが23時半。やめればいいのに、やめるのもめんどうくさい。就職する気も起きない。

 たぶん、朝、頭が痛かったのは、前の日に悪い客にあたったからだった。私の商品の説明の仕方にいちゃもんをつけてきたおばさん。まぎらわしいね、おたくは。ほんとうにそうね、まぎらわしいわよね。

 こうやって携帯電話で文字を打ちながら駅からバイト先のスーパーまで歩いている。画面上部の時計を見る。日差しが強くてよく見えないが、始業時間を過ぎていることだけはわかったし、このごろひどくどうでもよかった。

 

  ――やっぱり I was born なんだね――

  父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。

  ―― I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね――

   (吉野弘 "I was born"より) 

 

大竹由衣香

 この夏のことはこれで全部おわりか。文化会館で開かれたスピーチコンテストの地区予選の帰り、ぼくたちはやるべきことが終わってそれだけで満足だった。由衣香ちゃんは結果はどうでもよかったようなくちぶりだし。内申点目当てだったらしい。

 先生たちに言われるとおり、憑りつかれたような身振り手振りで演説の練習をしたり、美里先生に人格を否定されるようなことを言われたりして泣いたりしている出場生徒のなかで、ぼくたちふたりは淡々と練習をして、淡々と本番を迎えた。まったく冷めたものであった。全校生徒のまえで演説しなくちゃいけないだなんてダサくて最悪だねって話だった。毎年県の本選に進む人もいたのに、今年はだれも1位になれなかったと先生は悔しがっていた。

「カズキくんもミサさんも泣いてたね」とぼくが言うと、由衣香ちゃんはなんか怒ったような顔をした。

「ね。なんかカズキすごい剣幕だったさっき。なんで?」

「それは由衣香ちゃんのほうが成績が……」 

「え、馬鹿じゃない? そんなことで? めんどくさ」

由衣香ちゃんはひねくれた美人だった。そういえばカズキくんも端正な顔をしているのでよく褒められていた。美里先生も常々、スピーチは見た目がいい人に利があると明言していた。それは正しいと思う。見た目は大事なのだ。でも大勢に愛される見た目であるほどいいという意味じゃないよ。お笑い芸人になるにはお笑い芸人の見た目が必要、俳優になるなら俳優の見た目が必要、そういうことだよ。

「こんなことで仲悪なりたないわ」

「カズキくんと仲よかったっけ」

「一緒に班長やることが多いから」

ふたりは人気者だね。

「でもミサさんはちょっとかわいそうだったわね」

「先生が盛り上げすぎたよね」

「ね。でもあの程度で泣くか普通。いいじゃん帰国子女なんだから。私たちと違って本当に英語喋れるんだから。誇れ」

「なにそれ笑う」

ミサさんは鳴り物入りの帰国子女。スピーチコンテストには帰国子女枠というものがあり、全校生徒のなかにただひとりの帰国子女である彼女は、美里先生によりスピーチアンドロイドに改造された。結果は惨敗だったので、泣いていた。

 あなたは冷凍人間みたい。これはぼくが美里先生から言われた言葉だ。放課後、図書室でスピーチの練習をして、いろんな先生がそれを見に来て、美里先生にひどいことを言われて、それがこのひと夏毎日だった。ぼくはだれにも見られない場所で毎日泣いた。鏡を見るのがいやになったから泣いた。

 先生たちは言っていた。この夏、あなたはくじけなかった、それは一生の糧になる。

 

藤堂将

 あの夏のことなんて、もう。

 No. 362

 6月7日 40代 男性 090-****-**** 112店 050部

 17時ごろ来店。肉売場で値引き作業中の男性従業員に「これも安くなりますか」とたずねたところ、当該従業員が舌打ちをした。「なぜ舌打ちをするんですか」とたずねると、当該従業員はなにもこたえず、黙ったまま値引き処理をした。

 なにもかもどうでもいい。レジで通した麦爽快の6缶セットをパック寿司のうえにのせた(あたりまえだけどこういうことはやっちゃいけない。イチゴやぶどうやパンやSushiは一番うえに載せると決まっている)。客は夫婦だった。ラガーマンみたいな旦那と読モみたいな嫁。なんかムカついたのでバレないと思ってやったらバレて、嫁のほうがあきれた顔をしてビールをどかした。

 もうおかしくてたまらなかった。笑いをこらえながらすんませんと言った。

 もしかしたらこのどうでもよさが、子供のときに見た大人たちの本質なのかもしれない。ひとつひとつのことに怒り悲しみ続けることができることこそが才能である。ひとはみんな、そこまでの力は持ち合わせていないから、途中であきらめて、感情を排泄物として扱うようになる。

 もうなにも真剣になれない。ばかばかしくてやってられないのだ。滑稽だ。

 在庫を整理しにいったら搬入口から話し声が聞こえた。藤堂さんと高田さんの声。

「そのときお医者さんから言われたのは3年って話だったんですけど」

「そうなんだ。じゃあ大事にしなくちゃね」

高田さんは性格が強すぎてよくまわりともめているし、社員からは嫌われているが、とても頼りになる。

「ねえ、お母さんは男の子のほうがかわいいっていうじゃない」僕が来たのに気づいて高田さんがこちらを振り返りながら言った。「まあ私は産んだことないんだけど」

「仲良くしてますよ」

藤堂さんはお母さんの話をするときいつも笑っていた。最近、藤堂さんのシフトが少し早い時間にずれたのは、お母さんと過ごす時間を増やすためなのかもしれない。

 優しい人だけど、なにを考えているのかわからない。中学を卒業して高校には行かず、バイトをはじめた。家ではパソコンのまえに座って過ごしているという。恥ずかしくてマスクを取れないので、ぼくの前では食物や飲料を摂取することは絶対にない。

 夜間部門で飲料を担当していた藤堂さんが青果部門に引き抜かれ、ぼくとは部門が別になってしまったので、一緒に仕事をすることはなくなった。まわりのおとなたちは藤堂さんには一番優しかった。長い髪は束ねなくてはいけないのだが、藤堂さんの女の子みたいな髪型にはなにも言わなかった。特に青果の主任は藤堂さんのことを気に入って、いざこざの多い掃き溜めのような夜間部門から救い出すように、彼をかくまった。

 

 藤堂さんの名前が夜間部門からなくなる最後の夜、一緒に店を閉めて、真っ暗な駐車場で今までの話をした。

「バシのことは一番信用してるよ。飲料のことはもう任せても平気だと思うけど、わからないことがあったらたまには聞いてね」

バシというのは藤堂さんがいつのまにかぼくのことをそう呼ぶようになっていた呼び方。

 

高橋美紗

 中学のときの担任から急に電話がかかってきて、受験に関する体験談を壇上で話してほしいと言われた。口車に乗せられて行ってみたらみんな有名大学の付属高校に進学した人ばかりだった。ぼくは田んぼのまんなかにある自分の高校のことを話すハメになった。

 壇上に上がった生徒のなかに高橋美紗がいた。帰国子女ミサさんの姿を見るのは1年ぶりだった。

 

 私は水泳をやっていました。もう何年だろう、小さいころから習わされて、親も水泳をやらせたかったし、私も水泳が好きだったし、本当に小さいころは選手になるものだって、選手になりたいって思っていたこともありました。思っていたっていうか、実際中学2年生のころまで目指してたんです。目指してたんですけど、そこで私は怪我をしてしまって、水泳ができなくなりました。

 泣きました。そのときは。もうすべてを賭けていたので。水泳に。いま思うと変な話なんですけど、そのときの私にはほんとうに水泳がすべてでした。不確かなものなのに。

 そのころはほんとに負のループみたいな感じだったんです、水泳をやめたら、大好きだったピアノも弾けなくなっちゃって。あと、失恋もしました。精神がどんどん落ち込んでいきました。

 このままじゃだめだと思って、なにか戦う方法を見つけなくちゃと思って、私は勉強をはじめました。いまの高校に受かることができたのも、振り返ってみればあのときのどん底の自分がいたからこそだって思えます。

 勉強だけは私を見捨てないんですよ。これは本当なんですけど、スポーツとか芸術とかは運とか才能とかが必要になってくるんですけど、ある程度までいくと。勉強の場合はそれがなくて、頑張れば頑張っただけ、絶対に実力になるんです。

 それに気づいてからはすごく気持ちが前向きになりました。いろんなことがあった受験期だったけど、つらい経験もいますごく糧になっています。

 

島田理子

 じゃあ、もしも不慮の事故にあって、頭を強く打って、思考能力に障害が残ったとしたら? もしも器質性精神病を発病して脳機能に障害が残ったとしたら? そのときは勉強に裏切られたと言って泣くのか?

 生まれつき四肢がない人はピアノを弾けない、泳げない。脳の一部が発達しない人は読めない、書けない、学べない。鳥は話せない、人間は飛べない。以上。

 蒸し蒸しと暑い駅のホームで夜に浸食されているようなぼんやりした蛍光灯の明かりの下の椅子に腰掛けて、電車を待つ。てかてかしたカナブンが落ちている。

「なにしてるんですかこんなところで」

突然島田さんが現れて言った。

「なんで電車に乗ってるんですか?」

「まだ乗ってないですけど」

女の子はレジ、男の子は荷物と大体決まっている。島田さんはぼくと同じ時期にレジに入ってきた、北海道出身の女子大生。

「え、まえ自転車乗ってませんでした?」

「はい。最近引っ越しました」

いま精算部門はバイトも社員も、上柳意外は全員女子だ。上柳はというと、この秋に中途採用の空きがあれば社員になれると喜んでいる。つくづく馬鹿だ。

「え、どこに引っ越したんですか」

「飯山満」

「は? 乗り換えあるじゃないですか。クソめんどくさいですね」

あのデブはみんなに愛されていると本気で思っている。安い賃金で働いてくれるから社員から重宝され、なるべく長く働いてもらうために中途採用に受かるためあと二年頑張ってくれなどという店長の言葉を本気にしている。

「めんどくさいって、島田さんも電車ですよね。どこですか」

「薬園台です」

電車がやってくる。上柳が社員に上がれば異動になるが、そのときの後任は私ということになっている。やつはレジばかりを8年もやってきたから慣れていたがぼくはレジはおろか1年前にバイトを始めたばかりなので、レジの女の子たちの信用は得られていない。

「じゃあ、私はこっちの車両に乗るので、そっちの車両に乗ってください。気まずいんで。お疲れさまです」

ノンケだったらこんなとき、この女はたぶんぼくのことを好きなんだとか勘違いするんだろうな。

 

 男性のお客様から先日のクレームについて電話ありました。

 舌打ちをしたのは藤堂だそうです。

 今後も来店し接客態度を観察するので、指導に力をいれるようにとのことでした。

6/22 上柳

 

飯田健

 先輩が卒業する日、新しい部長、副部長、パートリーダーが発表された。飯田先輩はぼくのことをパートリーダーに選ぶと言っていたのに、実際に選ばれたのは由衣香ちゃんだった。由衣香ちゃんは副部長でもあった。

 由衣香ちゃんは見た目もいいし人望もあるし頭もいいが、楽器はぼくのほうがよくできた。それなのに。

 ぼくはだれも見ていないことを確認して、ロッカーのなかにある由衣香ちゃんの通学カバンのジッパーを開けた。女の子のにおいがした。探すまでもなく、透明なファイルのなかに挟まれた封筒が見つかった。躊躇もなく封筒を開けて、手紙を読んだ。

 飯田先輩ぼくは飯田先輩のことが好きでした。飯田先輩みたいになりたかったし、だれよりも尊敬していました。

 破いた手紙を自分の鞄に入れる。そして何事もなかったかのように、送別会をひらく音楽室のなかにもどっていった。

 

 飯田先輩へ

 わたしは小学生のころから飯田先輩のことを知っていました。合同音楽会でドラムを叩くところを見ていたのです。

 そのときの姿に憧れて、パート分けのときにパーカッションを選んだのでした。

 これからもわからないことがあったら教えてほしいので、たまに連絡させてください。

 高校に行っても頑張ってください。

 大竹

 

セプティマス・ウォレン・スミス

 だれかが死ぬ。だれかは生きていく。

 家に着いたら、まずはシャワーを浴びて汗を流す。シャワーのない家に生まれた私にとってはこれが大変気分が良かった。それから自分と相手の晩飯を作る。彼氏が作ってからバーの仕事に行くことも多いのだが、今日はぼくが作る。鮭の味噌焼き。

 いまおもうと実家の飯はまずかった。お母さんのことは好きだしどちらかというとマザコンだが、お世辞にもおいしいとは言えなかった。母は料理が苦手なのに無理矢理がんばっていたのだと、家を出てからわかった。私も苦手だ。

 それからなにかいろいろ時間を潰して、深夜3時ごろ彼氏が帰ってくるまで待つ。いや別に待っているわけじゃなくて、ふつうに眠れなくて苦しんでいる。もう普通の時間に寝て起きることは永遠にできないかもしれない。

 暗い部屋でまるまりながら、また、どうでもいい感覚が胸のあたりに満ちてくるのがわかった。なにもかもどうでもいい。目を閉じて眠ろうとする。眠れない。なにもかもどうでもいいのに起きててなにになるの?

 ぼくはなにも知らない。知らないところで戦っている人たちがいる。Kくんのことを思い出した。Kくんに言われたのでHIV検査にも行った。大切にしたいものはなにもない。でも私なんかに無償の愛を見せてくれた人のことは頭に残って離れない。自分勝手だ。

 小さいときに空想しては恐怖していたことがふたつある。この世が全部嘘だったらどうしようというのがひとつ、なにもかもなくなってしまったらどうしようというのがふたつめ。

 いつのまにか、なにもなくなってしまっている。でも意外と怖くはない。なぜならなにもないから、怖いという気持ちもない。

 なにもしたくない。なにも食べたくない。セックスもしたくない。だれのことも嫌いでも、好きでもない。もうすべてどうでもいい。なにも感じない。なにも感じない。

 それでも。