試論

恥さらしによる自我拡散改善法を中心に

運命

 どこかで読んだか聞いた話なんですが、小さい子の精神の発達で、バスの降車を知らせるボタンあるじゃないですか、あれを押したくなるという心理が芽生える時期があるそうです。要するに自分の影響力を感じたい。たぶん人間やそれに似た動物しか持っていない欲求かもしれない。承認欲求の根源はこの、自分の影響力を感じたいというものに由来するのでしょう。

 小さい子がわざとコップを倒して飲み物をこぼしたりします。こうすることで、単純にコップが倒れて内容物がテーブルに広がっていく、物理的な影響も見られます。それから、近くで見ている親の表情になんらかの変化が現れるでしょう、もしかしたら叱るかもしれない。これは心理的な影響です。

 動物としての本能以外の人間を形作る行動原理のほとんどを占めているのが、この影響力を知ろうとする欲求だと、私は勝手に考えています。

 
2019/01/05

 丸亀製麺を出た私たちはこれからどうするか、特に決めていなかった。こういうときものすごくダルくなる可能性がある。なにを食べるか決めるときもものすごくダルい。「なにか食べたいものある?」「どっか行きたいとこある?」という簡単すぎる質問に答えられないせいで何回か死んだことがある。たぶんなにも食べたくないし、どこにも行きたくないからだと思う。

 トモキさんはというと、助手席に座る者に絶対に死を強要してこない人だった。どちらから提案したわけではないけれど、はつもうでに行くことになった。

 鳥居をくぐるとき、昔お兄ちゃんと一緒に近所の神社に詣でたのを思い出した。お兄ちゃんが18で働きはじめたころだった。町内会の大人たちとおとなの口調で話しているお兄ちゃんをはじめて見て、ひとっていつのまにおとなになるのかなあと思った。

 トモキさんの名前は一番上の兄と音も字も同じだった。べつにだからどうということではないのに、なんだかものすごくありがたかった。

 境内のいたるところに厄年早見表みたいなのが貼ってあって、私が今年24歳になることをインフォームしてくるのつらい。

 

2019/01/21

 西友でお肉やお野菜を買うのをながめる。彼のお家に帰って切ったり炒めたりするのをながめる。好きじゃない新喜劇を作り笑顔で見ながら、下手な舌はただ熱いだけの紅茶でやけどする。本当にずっと好きでいてくれるのだろうか。頭では思っているし、実際声にだして何度も聞いた。それは本心ですか。詐欺ではありませんか。利害はありませんか。

 でも、その裏側では別に心配じゃなかった。きっと飽きられてもそっかと思うだけかもしれない。いつからこんな贅沢な性格になったんだろうね。

 ユウジさんの料理をはじめて食べる。おいしい。正直人が作った料理を食べるのが得意ではないけれど、昼に食べたパスタも夜に食べた鍋もびっくりするくらいおいしい。お母さんのご飯よりおいしいと感じてしまったのが、なんだか大罪だった。

 20時、ドアを出ていくのを見送ってすぐ、シャワーを浴びる。そして、買ってもらったいやらしいパンツを履く。見られることを想定していないために処理されずに生えはびこった陰毛が、小さな三角形のパンツを自由にはみだして主張している。帰ってくるまでの時間、ひとの家で留守番なのでどうすることもできず、ほんとうは彼氏の家からツイキャスでもやったら面白いかなと思ったけれど、どうせ場所を映すわけでもないからなにも面白いことはないと悟り、やめた。死にたくなった。

 彼はいま夜のバイトをしている。給料の支払いが2か月滞るような限界の店で働いているそう。僕にはじめてできた彼氏に借金があることや身持ちが悪そうな話をすると、女友達は喜ぶ。「そんな男やめなよー、借金がある男はやめたほうがいいよー」なぞと、知ったような口を利く。利発な女の真似をして金や実力で男を吟味するな。自分の身の程をわきまえたうえで、顔や体で男を決めてみろ。

 白くて柔らかくて分厚い手が、神様の失敗でいびつに作られたいろいろなものを優しくにぎりしめて、いちどこなごなにしてから、また正しい美しい形に直してくれるような気がする。傷のあるところを乱暴にしたりしない。まだぼくたちは一度も繋がっていない。そういうところが、そういうところだけが、世の中の愛や誠実さの真似を一生に一度だけでいいからしてみたいと思っているからこそ余計に、たまにおろかでばかばかしい。

 

2018/12/27

 西洋の喜劇は悲劇の対立概念であって、必ずしも現代のようにひとを笑かせるという意味を持っていない場合もあるというふうに文学の講義で習った。ある先生は「もっと端的に言ってしまえば、悲劇は必ず主人公の死で終わり、喜劇は必ず大団円の宴や結婚式で終わる」と定義づけていた。

 この日は所属しているシガメリというバンドのワンマンライブだった。私は、こういうものに出ていいほど音楽的にも動員的にも貢献できていないというのに、ワンマンだった。

 すべてが終わって、楽屋でボーカルのメリさんに誕生日プレゼントなどを渡しながら、なぜか私が泣いていた。あのとき泣いていた理由をいろいろと考えてみた。他人の幸せをはじめて喜べたからだったといまの私は結論付けている。つまるところ自分のことがかわいくて泣いていたということになる。すごく気持ち悪い。

 

2019/01/19

 高校時代からの付き合いでバンドを組んでいた男が、名古屋に引っ越してしまうことになった。私は契約を更新して、来年度も同じ場所でバイトを続けることになった。

 

2019/01/24

 朝五時までツラ子ちゃんと通話をしてしかも特になにも話すわけではなかったので頭がからっぽワールドに陥ってしまい、今日ユウジさんの家に忘れてきたジャケットをユウジさんが届けてくれることになっていたのも忘れていた。

 先日、私が取りにいくと言うとユウジさんは「家に来られると引きとめてしまうからこっちが行く」というから、じゃあおねがいしますと頼んだのだった。

 だとすると駅で会うことになっていたと思うんだけど、前の日には時間すら決めていなかったので、今日になったら今から行くねってLINEくれるものだと思っていたのに、13時に目を覚ましてスマホを見たら11時にユウジさんから最寄り駅に着いたと連絡が来ていたので、もう死にたくなった。

 すみません、今起きましたとだけ返信したら、それからなにも音沙汰がなくなってしまった。

 そういえばまえにもこんなことがあった。

 バイト終わりに会いに行こうかという話をなんとなくしていたが、やはり時間が遅いのでやめようとバイト中に送ったら、ユウジさんはもう出発しており、なぜか歩いて2時間かけて僕の家の近くまで来ていたのだ。しかもそれを少しも教えてくれなかったので、ぼくは平気で家に帰って寝支度をしていた。

 母と同じような間違いを犯したくないので常人のふりをした気狂いときまぐれで愛を誓うわけにはいかないというような、絶望的な観念があたまのなかになんども浮かんでは消える。この人のこの行動の不可解さが父に似ていていやだ。

 初恋の人以外はもう好きになれないのかもしれない。初恋の人ももう好きではないし。ほかの女がまんこがついているからというだけで彼と気まぐれでできるセックスがぼくにとってはかけがえのないゆめだったのかも。

 

2019/01/04

 さっきみた夢のなかでぼくは車の運転をしていた。助手席にしか乗ったことがないくせに。

 ひとがあたりまえにやっていることは自分にもできそうに見える。いつもそうとは限らないけど。

 3人くらい友だちを載せていた。みんな実在しない友だち。

 山道をあがっていく途中でお相撲さんを避けながら進まなくてはいけないハードな局面があった。ブレーキとアクセルを同時に踏み(?)、風呂の、風呂のあの、お湯と水が別々のひねりになってる難しいタイプの蛇口あるじゃないですか、ああいう感じでうまい具合に速度を調節し(?)、道に挟まった力士にバックミラーをめり込ませながらも切りぬけ、無事下山。

 そのあと車を降りた一行は、うわぐつを脱いだり履いたりしながら歩いた(このへんはなにをしていたのかよくわからない)。街は夕暮れ。

 

 目を覚ましてすぐ、トモキさんの汗ばんだ腕を感じた。もう一度目を閉じる。かすかな寝息が聞こえる。やっぱり目を開ける。顔も体も赤ちゃんみたいな30歳がベッドに横たわっている。ぽよぽよしたほっぺたをつついてあそんでいたら、その人は目を開けて、しばらくははじめてぼくを見るような顔をしていたけれど、すぐに思い出したみたいだった。

「すごく汗かいちゃった」

ユウジさんとはちがって、いびきをかかないのがいい。