試論

恥さらしによる自我拡散改善法を中心に

きみの話

愛です。

 

 

 

生きてさえいない

進路届。べつに将来やりたいこともないし、行きたい大学もないし……先生も、結局偏差値で選んで薦めてくる。

「ほかの学校は英語の学科で申し込んでるけど、どうして第一志望だけ日本文学専攻なの?」

え? 死亡?

「やっぱり小説家になりたいので」

「まあ、私の考え方なんだけど、大学にいったら文芸活動する時間なんていくらでもあるから、せっかくだから得意な勉強を続けたほうがいいと思うよ。高い大学に入っておけばいくらでもつぶしが利くからね」

「はあ」

私に得意な勉強なんてありましたっけ。ほかに取り柄がないから勉強ができるってことにしたいだけなのでは?

別に自分の将来のために受験をするという意識が全くなくて、大学も将来もどうでもいいし、それはなんでかというと、たとえなにか社会的にいいとされる安定した地位? 職業? 経歴? みたいなものを得たとしても、ぼくがほんとうにほしいものは一生手に入らないでしょう、この高校時代を振りかえると……わかってる、それは甘えですし、本当にバカなんだけど、さみしい気持ちも、死にたい気持ちも、あの体育教師がぼくを見下しているのも、サッカー部も、実際変わらなくない? 将来ぼくがどんな人間になろうと変わらないだろうし、彼らには見えない。生まれつき生まれた場所が違うのに僕がどんなにドブのなかで頑張っても意味がないのだ。

 

 

死の(意思未来)、死の(連体修飾格)………死が(主格)、死は(主題)、死に(与格)、死を(対格)、死よ(呼格)。

好きな人に好きと言ってみたり触ってみたりする。いろいろなことを想像する。どんなことを考えてるんだろう。どんな体をしているんだろう。毎週、死んだお父さんの墓参りをすると言っていた。とてもいい文章を書く。もしかしたら彼も孤独で、ぼくみたいな気持ちを、同じじゃなくても似たようななにかを抱えて生きてきたなら、生きているならいいな。僕のザーメンは無意味でかわいそう。

……なにが? なにがいい? 同じ気持ちを抱えて生きていたとして、なにか救いがある? ない。個人の孤独は個人が癒やすしかない。気がする。

 

友だちがいなくなっちゃった。のは自分のせいだ。だれかといるときの自分が大嫌いで、性格が悪い自分を隠すには人間関係をそもそもやめればいいんだと思って、だから遠ざけようと思ったんです、いままですがってきたものから、自分を。吹奏楽とか、女の子たちとか、かわいさとか、そういうものから。音楽も考えてみれば全然好きじゃないし、ぼくは女の子と一緒に遊んでいるのがあたりまえになっていたけどきっと彼女たちはぼくのこと嫌いだったろうし、みんなと同じようにかわいいと思っていたけど実際は違うし。だって高校に入ってから男の子と一緒にいるとき、なんかこいつら汚くてやだなって思ったんですよ、自分も同じ男なのにね。へんなの。

 

さいころはよかった。ちょっと文章を書いただけですごいすごいと褒めそやされた。たぶんその程度の才能はあった。見たものを真似するのが得意だったので、読んだ文章を真似すればきれいな日本語が書けた。真似をしているだけなのに大人は褒めてくれた。

それは私がちょっと変わってて周囲になじめなくて、ぱっとしない子供だったから、大人たちがそれを哀れんで褒めてくれたのかもしれない。よそはよそ、うちはうちで徹底して洗脳された子供だったので、ほしいものとかなにもなかったし、今もなにもほしくないし、人がなにをしているかとかあんまり興味がなかった。結果的に変な子になった。ただの変な子なんだけど、大人たちはそれすらも個性として評価しようとした。

この国には義務教育というものがあるので、やがてみんな、統制されたきれいな日本語が書けるようになる。私が真似して書いた文章なぞを褒める大人はいなくなるし、私の生き方も誰かの真似のように言われて、大人から評価されなくなった。これはすごく悔しかった。あと、人気者が書いたもののほうが面白くて、私みたいな陰キャが書いたものはつまらなかった。しかたなかった。

英語のスピーチ大会のとき、たまたま同じ学年から出てた子たちが美男美女だった。先生も「見た目がいいほうが得」と公言していた。私は実力で選抜されたはずだったが、なんかふつうに市内6位とかで終わった。

 高校3年のスピーチ大会で、私が選抜されそうになったところを同じクラスの小川あかりちゃんにゆずったことがあった。それは、あかりちゃんのほうが実力があるからというのもあるけど、なにより彼女は美人だった。スピーチは美人がやったほうが絶対にいい。その数年後、彼女は大学でも弁論を極め続け、中国語の弁論大会に出場していい成績をとったようなことが大学のホームページかなにかに載っていた。スピーチは中国人と結婚しますというような内容だった(と思う)。

いいわね。

 

 

 

きみの話

ぼくのパパとママはおしごとがおわるのがおそい。カジノではたらいてる。みんなのママがむかえにきて、ともだちがひとりずついなくなる。ぼくはきょうもさいごまでのこってる。ほいくえんのシャッターがしまる。ぼくはシャッターのまえにたって、おむかえをまつ。

 

 

音楽

中野へゆき、団員が全員ゲイの吹奏楽を聴きに行った(ひとに連れられて)。久しぶりに吹奏楽を見たら自分がやっていたときの緊張感が戻ってきて、ぞくぞくした。こういう抽象的なものがあのころは神様で、理論的な音楽や有形でない概念や音楽そのもののことを、幼い私は信仰していたのでしょう。

(バイト先のバイセク上柳は強豪校で吹奏楽部に所属していた、青春時代を吹奏楽に捧げていた男なのだが、ゲイの楽団のことを話したら少し嫌そうな顔をしていた。普通の楽団がいいと言っていた。ゲイは汚い? ゲイは汚いから音楽を汚す?)

目が悪いのでステージ上の団員のことはよくは見えなかったが、たぶんかっこよかったり頭がよかったり金取りがよかったりするゲイが集まっているんだと思う。客席もみんなきれいなゲイばっかりで気持ち悪かった。きれいなゲイか、そのなかに平気で混じっているキチガイか、ブスでもゲイ受けしそうなゲイしかいない。私もキチガイに属する。

精神が無理になっちゃってサイゼリヤで暴食した。食べても食べても足りないのに太らないのほんとうに腹が立つ。全部全部うんこになる。全部うんこ。なんだこの体。生きてる意味あんのか。同じ演奏を聴いていたおじさんからメッセが来たので来週会う約束をした。

 

Kくんの好きな日本語「うんこ製造機」

 

Kくんの帰国

「私の生活は、箱の……密閉された箱の中のようなものなの。小さな箱のなかにいる。あなたはそれに穴を開けて、なかに入ってきて、外の世界にはこんなものがあるよって教えてくれて、また小さな穴から器用に出ていく。追いかけようとしても、穴が小さすぎて私には出ることができない」

そういうようなかっこよすぎる表現をしたんだけど、あんまり聞いてもらえなくてウケた。穴に目を近づけて外を見てみると、働くおっさんでキラキラした世界が見える。怖すぎてガムテープでふさいだ。

飲料の箱を落として、段ボールが割れて500mlのボトルが散乱する。はいつくばって拾い集めて、24本あるか確認してから(22, 23, 24... 一年一年歳をとっていくのに、さみしさがいつも子供)箱の裂け目をガムテープでふさいだ。

そこにばかりいると、小さいとき「こんな大人になりたくない」って思ったような大人になっちゃうよっていうKくんのことばが、かわいい呪いとなって両肩に重くのしかかってくる。それでも翼は?