試論

恥さらしによる自我拡散改善法を中心に

残渣

 

いま見ているもののすべてが病室で見た幻覚だったらどうしよう。ここ1ヶ月にあったことすべても夢だったら?

やっぱりおちんちんが好き。

夢といえば最近、なにかとの最後の戦いを勝たなければいけない夢をよくみる。そもそも夢をみない体質だったが、抽象度も現実味の度合いも異なる夢をよくみる。自分にしか見えない怪物を光の矢で殺したこともあるし、面倒くさい人を全員消してeasyな生活を送ろうと試みたこともあるし、恋をしたりもする。共通しているのは暴力的に決着をつけてしまうことだった。

 

動物のかわいさを紹介するテレビ番組かなにかで、画面の端にひとりであそぶ猫だか犬だかが映ったときに、私は「そこらへんでひとりで勝手に遊んでいる猫とか子供とかってかわいいよね、かまってかまってじゃなくて」といった。母は「大人だってひとりで遊べる人はかっこいいじゃない」といった。

まあうん。

 

生活

バイト先に二人組で現れる男性の常連客がいる。ひとりは端正な顔立ちに髭を蓄えたたくましい男性で、もうひとりは全身ぽちゃぽちゃと肥えた男性だった。髭のほうはひとりで来店することもある。

髭はいつもなにをいわれても無表情で、うんとかすんとかしか言わないのが気になった。とても厳格な面持ちをしている。もうひとりはというと、いつもにこにこしていた。店内の有線に合わせて大きな尻を振って歩くこともあった。

そして二人の間にただようあたたかな生活感。

 

またあるときには、ベビーカーを押しながらあるくふたりぐみの女性客がいた。歳は近く、顔は似ていなかった。片方は黒い革のジャケットを着ていた。もうひとりはレースのかざりのある白いワンピースを着ていた。

ベビーカーにはだれも乗っていなかった。

この世にとってとはいわないけれど、ただだれかにとって特別になりたかった。

 

秋雨

人間はなにかと決着をつけるのが好きなものだ。

バイは愛情の向け先として最終的には女性のほうをとるというのが、とあるゲイおじさんの、バイセクシャルにまつわる持論だった。バイ男性とのあいだになにか、むくわれない経験でもあるのだろうか。

これは唐突に投げかけられたそのひとなりの決着ですね。

わたしは、そのひとがことあるごとに繰り返す「好き?嫌い?」という質問に「ふつう」とこたえることにした。なぜふつうなのかの理由を「ほかに好きな人がいるからあなたはふつうである。ただしほかの好きな人も果たして、ふつうになる可能性もある」とした。どのくらい理解してもらえたかはわからないし、別に理解してもらえてなくても大丈夫だった。いつか私もおじさんになったら、Tik Tokみたいなよくわからないものを若い子に見せられて、頭が悪いと思われるのだろう。

 

ひさしぶりにむなしさでできた澱みたいなものがまきあげられて、見通しの良かった羊水をにごらせている。ここ最近、このままどこまでもゆけそうに透き通っていたせいで気がつかなかったが、やはりまだ生きてすらいなかった。

 

1回会っただけであなたのことを一生大切にするなどという大口を叩いた男はいまは関西にいる。たまにしか連絡はない。

 

 

K

伊勢丹のまえを歩きながら、すれちがう男を目で追いかけたりする。おちんちんが好き。

まえに、カエルみたいなおじさんとあっちのほうの店に入ったら若い男たちに笑われたことがあった。別にカエルみたいなおじさんと歩いているから笑われたのではないことはわかっている。いままでの人生と同じことじゃないかと思いつつ、私はそれからもう、生きているのがどうでもよくなってしまった。

でもきょうは平気。Kくんの話を聞きながら歩いている私があの人たちからどんなふうに思われていようと関係なくて、わたしはただ彼のことが誇らしかった。

彼の説くように、ひとからどう思われているかは関係なくて、ただわたしがいま感じている感情を信じてあげたいとはじめておもえた。みんなはこんな気持ちでこの都会を歩いているのかなあと、他人の体を借りているような感覚である。

Kくんは見た目がよい。それを本心から褒めると、自分のアピールポイントは外見ではないと否定する。見た目の恩恵というのは本人の知らないうちに受けることが多いので、美は無自覚よね。

Kくんは頭がよい。外国から来てる人はみんな頭がいいと思う。私だったら義務教育で習ってない土着の言語しか通じない島国でなんてとても生活できないで死ぬ。

大学に本を返しに行くというと、なぜか彼は一緒に大学についてきた。正直に「大学に行くのが嫌すぎて最寄りに着いた時点で気分が最悪だし、あんまり自分の大学見せたくない」と伝えると、彼はわざと変なイントネーションで「どうしてぇ?」と言っていた。

人とぶつかったときに短く「すみません」というでしょ、その声があまりにも日本人的だったので、多分この子はほんとうはもっと上手に喋れるのだと思う。日本語は少し下手なくらいが愛嬌がありよいのかもしれない。

彼の大学は駅の名前がそのまま大学の名前になっていた。私の大学もたまたまそれだったが、快速がとまらない、駅から徒歩10分かかるなどの不都合があり、Kくんはずっと文句を言っていた。

「大事なのは見た目ではなくて中身だから、ぼくはべつにぼくがブスでもいいの」じゃあ私がブスでもいいの?だめじゃない?

そのあと彼の家に行ってぼうっとした。テレビで「京都の町並みをひとり占め」と謳う旅番組に対し「ねえなんでいつもひとり占めしたがる?おかしい」と抗議するKくん。そうだね、みんなひとり占めしたがる。ほとんどの人間はあなたより馬鹿だ。

「もう帰る」と言ったら急に「だっこして」と言われたので、そのままなしくずしに抜いてあげた。Kくんは自分の手で自分の目を覆っていたので、ぼくは声と肌とにおいと音だけの存在になった。

全身のどこをとっても欠けているもののない子だった。ある部分がエロ漫画みたいに敏感で、自分がものすごく技術のある人間であるかのようにまやかされた。心に暗いものを抱えていて、それを乗り越えて海も飛び越えて日本にいる。生き延びたほうのKだった。ぼくは急につまらなくなった。すべてがいいにおいがする。ぼくはもうつまらなくなった。

試しにぼくのことも抱きしめてくれと頼んだが、服を着ながらしかとされた。

めちゃめちゃに日本語が喋れるくせに「しかと」という幼稚園児でも知っている言葉を知らなかった。理由ははっきりしている、しかとされたことがないからその言葉を覚える必要性がなかったのだ。

 

丸ノ内線に降りていくエレベーターは永遠に永遠にくだっていくようだった。ブラジル。

無駄な知恵をつけてこんなたわごとを書き連ねて、頭のなかはからっぽなのに、頭のいい人特有の変人気質を漂わせているだけ。気持ち悪い。早く死にたい。

電車が私の家に近づくと乗客の民度はみるみる下がっていく。兄たちは東京に行きたくないからずっと千葉に住んでいるけれど、たぶん東京を知らないからそういう選択をしたんだと思う。この町は死んでる。私も死んでる。いつかだれか、親やその親がつくりあげたものの残骸の残骸のそのまた残骸、羊水の中にただようカスを吸いながら生きてるつもりになっているだけ。こんなかんたんなことにどうして今まで気づかなかったんだろう? もう手遅れだ。