試論

恥さらしによる自我拡散改善法を中心に

伯母の引っ越し

 あれは5月下旬のことだったか。

 

 

隆平

 錦糸町まで定期が利いているからSuicaで乗車するといっているのにその意味をわからない母が720円の切符を買って渡してきて、理解されなさがもどかしかった。
 小一時間電車に揺られて伯母の住むアパートのある練馬区某所へ。とてものどかでよいところだった。天気がよく、暑い日だった。
 途中でコンビニに寄って差し入れるための飲み物を買ったのだけど、店員さんが全員日本人じゃないことを母がしきりに面白がっていた。レジをやってくれた店員さんの名札には「ふぁとえふ」と書かれている。都ってかんじ。
 ふぁとえふの中世美術のような接客スマイルに見送られ、そこから少し歩いたところに伯母のアパートはあった。すでにトラックがとめられていて、二階の玄関先に引越業者の青い制服が見える。
 正直、私が留年したり、就職しなかったことを一番強い口調で非難していた伯母にはできることなら会いたくなかった。今回引越しを手伝いにゆこうと母に言われたときも本来なら断るところだったのだが、そういえば引越し業者というのを間近で見たことがなく、実はそれを期待する気持ちがこころの根底にさりげなくあった。
 母がこんにちはと声をかけると、その人はふりかえった。
「うわっ……」
 まぶしい。
 誇張ではなくほんとうに声が漏れてしまった。母のほうが前を歩いていたので、彼は母のほうに先に会釈をしたあと、ぼくのほうにも微笑みを向けてくれた。
 親しみやすい柔和な笑顔、下がり眉、ねむたげな目、上品な口元、真っ白な歯、長身、がっちりした肩、半そでから伸びるたくましい腕、汗がにじむ広い背中、丸いおしりのあたりに練馬支店大野隆平(仮名)と名札がついている。隆平降臨。
 それからしばらくは、手伝いにきたといっておきながら、重い荷物を持って階段を上ったり下りたりする隆平を観察するだけのデバイスになってしまった。ダンボールを持ち上げるときの「よいしょっ」とか「うっ」とかという隆平の声を聞くたびに胸がせつなくなった。引越しという作業に金を払うというよりそれを見るために金を払いたい。運輸業というよりサービス業だ。まことにラッキーなことに引越しするのは私ではなく伯母なので一銭も払わずにこの瞬間に立ちあい、だれよりも楽しんでしまっている。
 最後にたんすやらクローゼットやらを運びだすときに、隆平が靴を脱いで室内にずいずいと入ってきたのだが(短く刈り上げた髪の毛に汗の粒がきらきらと光っている)、滝のように汗をかいているのにいいにおいがしたのだ。不思議でたまらなかった。そのあたりからぼくは部屋のすみで座りこみ感動に打ち震えていた。写真におさめたい。みんなに見せたい。みんなってだれ。チェキお願いできないだろうか。一枚5000円でいいですか。世の中がアイドル性を重視している時代なんだから、引越し業者もそのくらいやってもいいのではないか。需要と供給だ。ビジネスのにおいがする。
 そのあいだ伯母や母がきやすくなにか話しかけたりしていて、たとえば「このあとはまだ仕事があるんですか?」「そうですね、もう一件あるんです」「まあ大変ですねえ、暑いのに」「きょうほんとに暑いっすねー」みたいなことを話したりしていたのだが、普通に「やめて」と肘で小突いてしまった。マジ無礼。恥を知ろう。わたしたちのようなババアや下賎が気安く話しかけられる存在じゃないのだ。
 やがて、おしゃべりなババアらの相手もそつなくこなした神・隆平はトラックに乗りこみ、伯母の転居先へと颯爽と走りさっていってしまう。去りぎわの笑顔が頭に焼きついて離れなくなりそうだから、ぼくはあえてどこか遠くを見ていた。  

 

左折
 伯母はリウマチを患って仕事ができなくなって以来所得がゼロになってしまったので、年金と貯金を切り崩す生活に入った。それに応じて、40年来住んできた東京から、妹夫婦の住む千葉に移り住むことにしたのだ。
 新居の名義人は私と21歳としの離れた兄・智紀ということになっていた。兄は伯母の有事の世話役を引き受けたのだった。
 空になった部屋のなかで、伯母が語りはじめる。

 智紀と不動産屋さんに行ったときにね、智紀がいれば荷物もすぐに片付くだろうしって言ったのよ。そしたら、あの子あんなに太い腕をしておいて、「ぼく、だめなんですよ、力がなくて」なんていうのね。なんか体の調子が悪くてだめなんですって。
 それで、お昼なんか食べに行きましょうって言って、ファミレスかなんかに入ったんだけど、しょっちゅうトイレに行くわけよ。ずいぶんトイレに行く男だなあと思ったら、おなかの調子がなんか、悪いんだって。あんたそんなに、働き盛りなのに、あちこち具合悪いなんていってたんじゃどうするんですかって。しっかりしてくださいよっていったんですよ。そしたら、彼女と別れてから、ぼくはずっとおかしいんです、なんて言っていた。
 なんかあの子、ものを持ち歩くのに、こんなぼろぼろの、なんか皮がはげたりなんかしてみすぼらしい、きったない小さい鞄を持ちあるいてんのね。ちょっとあまりに汚いから、ちょっとそんなものを持つんじゃありませんよって、人っていうのは身に着けているもので判断されるんだから、いくらお金がなくたってそんな壊れたものいつまでも持ってるんじゃありません、いい歳なんだからちゃんとしたものを買いなさいって言ったのね。そしたら「これは彼女にもらったんです! 捨てられないんです!」っていうのよ。困ったね。

 兄がそんなことを言っているのは聞いたことがなかった。智紀も浩也も、ふたりとも色恋沙汰については一切話さなかった。ぼくも話さなかった。ふたりとも結婚していないし、たぶんこれからも結婚しないと思う。
 
 千葉の田舎へと向かう電車のなかで、
「あなたは深窓の麗人みたいに育ったねえ、色白で細くて。八重歯があって、お父さんに一番似てるねえ」
といわれた。一番言われたくなかったことだった。
 たしかにぼくは、兄弟と比較すると一番父に似ていた。たくましくて実直で頭の回転がはやい兄たちは、母方の男性に似ている。弱弱しく女々しく精神がもろい私は、どう考えても父方の親類に似ている。ぼくだけ、すべてが父に似てしまった。

 
 新居の最寄駅についてから、荷物の受け取り役をしていた智紀に電話をかけて、駅まで車で迎えにくるように頼んだ。駅から徒歩20分のところを、道がとてもこんでいたので1時間かけて、智紀はやってきた。
 久しぶりに会う智紀はすこし痩せていた。長く勤めた会社をリストラされたとき、別人のようにぶくぶく太っていったのだが、近頃彼女と別れたのがきっかけで少し痩せて、かわいくなっていた。
 親身になって伯母の世話をし、毎日働き、あれがほしいこれがほしいとも思わない、朴訥な兄。助手席で流れていく風景を見ながら、足りないものばかりを見ていると人はたぶん早死にすると思った。だからこれからは、いまあるものだけで満足しようと思った。
「おまえ、免許取るんでしょ」
「うん」ほんとうは免許も車もいらなかった。ぼくがほしいものはたくさんあるけど、恥ずかしいからいままで、ずっと口には出さなかった。自分の好きなものもわからないまま、年齢だけ重ねてしまった。「でも、運転するの怖い」
「ほら、いまみたいに」智紀はまっすぐ前の車を指差した。「左折のときにふくらむ車っていうのは大体運転のすべてが下手だから、気をつけたほうがいいの」

 

 伯母の新しい部屋はまえに比べて広くて、ひとつひとつの設備も真新しくて、兄も「俺が住みたいくらいだ」と言っていた。
 引越し業者・隆平にもう一度会えるかもしれないと思ったのだが、すでに荷物の搬入は完了していた。智紀は「なんかすごく人のよさそうな人だったね」と評していた。よさはよさとしてすべてのひとに伝わるものですね。