試論

恥さらしによる自我拡散改善法を中心に

まとめ。

 

 


まえかけ
夜間スタッフは社員等、定時で帰るスタッフの穴を埋めるため、夕方から閉店までの時間、4つのセクションに役割を分担して店舗の運営を補佐する。
川上副店長は新しいまえかけを私に見せて、「これを同じようにつけてほしいのだけど」と言いながら、結局私のうしろに回り込んで、紐を結んでくれた。背が低くて、丸くて、とてもやさしいおじさんだった。「うまく結べないなあ、細くて……紐が余る」
最初は加工食品だった。夕方にトラックで運ばれてきた商品を商品棚につっこむだけの簡単な作業である。
入って3日目で尋常ではない急かされ方をした。川上副店長は「だめだ、間に合わない。それじゃ終わらない。あ、終わらない。だめこれ、だめだ、あ、だめ、ダメ終わらない、だめ、これ終わらないどうしよう終わらないあーだめだ終わらない」と、横に立って私を急かした。このときは人手不足すぎて、まだ新人の私ひとりで台車数台の商品を出さなくてはならなかった。
「慣れてきたらひとりで全部できるようになってくれないと困るよ」
とは言われたが、加工食品に慣れるよりまえに飲料のほうに回されてしまうことになる。


ワイン
飲料も基本的にはやることは同じ。飲料を専門で担当しているのが藤堂さんというパートだけだったので、彼が休みの日に私が入れるように、私は飲料の担当に回された。
藤堂さんは夜間スタッフのなかで一番優しくしてくれた。女性のようなふわふわした髪型をした、華奢な印象の男性だった。
すごくすごく暇なとき、のんびり前陳をしながら、ぼくにだけ聞こえる声でこっそり、この店のいろいろなことを教えてくれた。どこかの社員が過労死したこと、まえに働いていたへんなひとたちのこと、あのパートの評判が悪い理由、あの主任が仕事をしないこと、あのお客さんがめんどうくさいこと。
飲料の作業に慣れてきたある日、私がワインの場所をおおかた覚えたということで、藤堂さんがそれをテストするためにワインを3本抜き出した。ジェイコブズグリーク、カルロロッシ、オーバーストーン。

そのタイミングで、すべての店から副店長というポストが消えた。川上副店長はある日突然というのは言い過ぎだが、多少の挨拶もなく、わりとあっさりと店を去った。
最後に会った日、副店長は僕の胸をゆびさして「順調?」と尋ねてきたので、「はい」と答えた。会えなくなってから思ったが、あれは仕事の進捗をきいていたのではなくて、僕の人生についてたずねていたのだ。まえかけの紐はひとりで結べるようになりました。
ぼくは就活生というていなので、来年の2月までの契約になっていた。

 

ハンバーグ弁当
「すみません、ちょっとお聞きしたいんですけど」
ほとんどの客はこのように、定型句をきちんと述べてから本題に入るところが、客なのにずいぶん律儀だなあと感心する。地雷はごく一部なのだ。この若い父親とその子供は、安全なタイプの客であった。
「このお弁当、さっき値引きするところを見ていたんですけど、同じお弁当なのでこれも安くなるんじゃないですか?」
そう言って父親は、申し訳なさそうな顔をしてハンバーグ弁当を私に手渡した。私は一旦商品をあずかって調理室に走った。
調理室では竹内が洗い物をしていた。
竹内はアルバイト全員から嫌われていた。仕事ができない、挙動がおかしい、ひとの話を盗みぎきする、こそこそとサボっている等が原因だった。
私はというと、竹内のことは好きでも嫌いでもなかったが、竹内のほうがこちらをとても気に入っているようだった。叩かれるのを怖がる動物のような目つきをした、太った男だった。
「これ、半額になりますか」
ハンバーグ弁当を見せると、日付のところを確認しながら、竹内は子機を操作した。ねび機は「ぶー」と馬鹿にしたような音をたてながら『半額』と印字された舌を突き出した。竹内はそれをちぎり取り弁当にはりつけた。
そのとき急に悲しくなってしまった。値引きして、値引きして、値引きして、それでも売れなかったものは捨てる。廃棄を従業員が持ち帰ってはいけない。そういうことをするとクビになってしまう。捨てる捨てる絶対に捨てる。ねびかれて捨てられる。嫌われものだ。

 


私をこの店に連れてきたのが上柳であることは、だれもしらない(たぶん)。
「ねえ、桃食べる?」
バックヤードで、上柳が手招いていた。そのめめしいしぐさや、桃という丸くてうすピンクでやわらかいものを食べるようにうながす上柳のデブ加減が、疲れた私にはムカついた。このひとはデブとして需要があることを知ってしまったブスだから、こういうのがかわいいと思っているのか?
青果室に入るのははじめてだった。青果室では高杉がピーマンに囲まれて作業をしていた。
「桃食べにきたよ!」と上柳が声をかけると、高杉は笑顔でふりかえったが、私を視認するとかたい表情にもどって「ああ……」と、すぐに背中を向けた。

高杉はなぜか私のことが大嫌いだった。私が無愛想なのが原因らしかった。
夜間スタッフをとりしきっている高杉と藤堂さんは、同期なので仲がよかった。藤堂さんはぼくと高杉が仲が悪すぎるのを案じて、わざと三人で話そうとしたりするのだが、僕は高杉のことが怖すぎて、高杉が目の前にいるととたんに話せなくなった。
でも高杉も、どうやらこの状態を望んでいるわけではないようだ。ぼくが藤堂さんや上柳と親しげに話しているところに突然やってきたりするのは、なんとかして私とのあいだにある隔絶をやわらげようとしているのかもしれない。

桃は、カットされていた。
「高杉に桃切ってって言ったら切れないっていうから、僕が切ってあげたの。でもあんまりおいしくなかった。どうぞ食べていいよ。おたべ」
上柳は得意げにそう言うと、青果室を出ていった。
背中を向けたままの高杉を横目に見ながら、桃のにおいをかいだ。いいにおい。売り物を買ったのだろうか、傷物で廃棄になったから切ったのだろうか。よくわからないままひときれ口に含んだ。疲れていたのでほんとうにほんとうにおいしく感じてしまい、うわあと声をあげた。久しぶりに桃を食った。ひんやりとしたもろい果肉。
「おいしい。ごちそうさまでした」
だれにいうでもなく、桃に言った。しかし、男の声がたしかに「はーい」と返事をしたのを、僕は聞いた。

高杉の背中は得意げだった。