試論

恥さらしによる自我拡散改善法を中心に

履歴書

 

 

 朝、家を出るまえに母からきょうもできあいのもので済ませるようにと言われていたので、買ってきた。母はこのところ体調を崩していたのだが、やっとだんだんよくなってきている。
 

 

 その日いっしょに散歩した小平さんは、景気のいいおじさんだった。ことあるごとに「最近ついてる」と言っていた。そこまで見せつけてくるなら経済的な支援をお願いしますという感じ。
 昼食をともにして、海の見える広い公園をなにを話すでもなくただぶらぶらした。途中、観光船がこれから出発するらしかったのでずっと近くで見ていたのだが、大きな船はいっこうに出発せず、ついに船が動くところは見ずにその場をあとにした。
 喫茶店に入ってからも「最近ついてる」としきりに言っていた。それから、同居人の話ばかりしていた。若い男性と4月から同居しているのだという。

 同居人に作ってあげる今日の夕飯の話、同居人にあげる誕生日プレゼントの話。幸せそうでよい。きげんのよい大人の休日をかいまみることができたのでぼくも気分がよかった。目の前に若い男性がいるにもかかわらず、家で待っている若い男性のことをずっと考えていること、それを隠さずに口に出してしまうこと、だからといって目の前の若い男性を決しててきとうにあしらうことはないこと、どれをとっても健全で、あかるい。

 空はおもく曇っており、そこらじゅう不安げに暗かったが、気分はほがらかだった。

 

 

 

 


 家に帰ると、父がいた。

 勤務時間中のはずの父がいる。


 父はタクシー運転手なので、朝仕事に出てゆくと一日帰ってこない。

 翌日の昼頃帰ってきて、日中は寝ている。

 夜起きて、飯を食ったりテレビを見たりひととおりすると、また寝る。

 次の日の未明、出勤する。休日は隔出勤日である。

 出、明、出、明、休、出、明、出、明、休……というリズムを30年近く続けている。

 

 

 

 その日は「出」の日、一日不在のはずだったが、ちゃぶ台の向こうがわにあぐらをかく父の曲がった腰が見える。

 

 こういう場合に考えられるのはふたとおりある。

 よくあることとして、父は客が少ない時間帯になると、都内の持ち場を無線がはいるまで意味もなくぐるぐるしているのが退屈になって、仕事中に家に帰ってきてしまうことがある。ドライバーという業務形態上そういうことを気軽にできてしまうのだが、勤務中に家に帰るって普通に考えてそうとうやばくない?

 次に考えられるのは、父が会社で不愉快なことを体験し逃走してきたパターンである。

 父の勤める会社を長いこと経営してきた人物が突然「やーめた」と言って自社を投げだして、ほかの大きな会社に売ってしまったのが、二年ほどまえのことだったろうか。父のような現場社員はそのままだが、事務所が一掃され上層部の入れ替えが起こった。

 それ以降、仕事のはなしなどいままで一切してこなかった父が愚痴をこぼすようになった。

 

 やっかいなことに、その日父が帰ってきていたのは後者の理由であった。くやしそうな顔をみてすぐにわかった。若い社員になにか嫌味をいわれたので早めにあがってきたというようなことを最近よく言っていたのだが、それをついに勤務時間中にやってしまったようだ。

 ことの顛末をことこまかに記すことははばかられるが、ようするに事故が起こり、ただ巻きこまれただけの父に過失はないのに、若い上官がそれを父の過失としてとらえ、相手が老輩であることをいいことにまるで痴呆患者に対するがごとくねちねちとこごとを垂れちらすのだという。

 

 こうなった場合に心配なのは、父自身よりもむしろ母のほうだった。

 僕がつとめて父をなだめすかそうとしているあいだ、母は台所に隠れてうずくまっていた。

 つい先日、胃痛のためついにものをまったく食べられなくなりパートを休んでいたが、本人の意志で退職したばかりである。むかしから精神的ストレスがかかると胃に痛みを感じることが多く、その大半は夫に起因することだった。

 父は、他人のことなどたとえ婚姻関係にあっても意に介さないような人間なので、母が具合を悪くしていようとかまわずにいつもどうり立ちはたらくように催促する。給仕、掃除、育児どれについても、父は手をかさなかった。

 母はすべてが下手だった。あまり器用なほうではないとおもう。しかし、手をかされるのをいやがったので、息子たちに手伝わせるというようなこともなく、すべてひとりで片付けようとしている。

 母の姉がリウマチにかかりほぼ寝たきりになってしまった数週間があったが、そのとき手を借りたいとの伯母からの電話が頻繁にかかってきて、母がよく見舞いにいっていた。母はしきりに「わたしだったら、病気になってもだれも巻きこみたくない。自分だけで苦しむ。それが死病だったらだまってひとりで死ぬ」と述べていたが、それが彼女の精神性を象徴しているとおもう。

 

 母が父の食べかたをとがめた。このひとはものを食べるさまが信じられないくらい醜いのだった。母が離婚を考えている理由の八割はそのせいだ。

 やがて口汚く罵りはじめる。父は「もう食わねえよ」といって、箸を卓に叩きつける。母は自分が挑発したくせに「どうしてそうやって怒るの?いいかげんにして?」などとほざく。

 次の日の朝まで父は一睡もせず、ずっとぶつぶついいながら、糞狭い六畳間をうろうろしていた。母は気絶するように寝た。今日もなにも食べてないようだ。体重は10キロ近く減っているらしい。

 

 

 

 ぼくはちゃぶ台のうえで、生まれてはじめて履歴書というものを書いた。

 4枚入りの用紙を買い、3枚書き損じた。

 在学中。以上。職務経験、特になし。資格、特になし。

 

 

 父のひとりごとを聞きながら寝る。

 目を閉じる、するととまったまま動かなかった船が、記憶のなかでは「ぼーぼー」と汽笛を鳴らしながら、ちょうど発進するところだった。

 鉛色のおもたい海をゆっくり、めりめりと割り、突きすすむ白く巨大な鉄のかたまり。そのあとには左右対称の波が扇状に尾をひいている。やがて船は水平線にのまれて消えた。波状の痕跡だけがみなもに広がってなじんだ。