すべてに色がある。
図画工作の時間に、絵を提出するのだが、色の塗られていないところがあるとリジェクトされた。「この世に色のないものはない」と先生によく叱られた。
たしかに。
母が具合が悪いからといって、看護をするのではなく、なるべくひとりにしてあげるというのが我が家らしいとわがやながらおもう。
兄の車で和食のファミレスに連れていってもらった。ふたりだけで外食をするのなど15年ぶりくらいのものだ。車のなかではシンフォニックメタルアレンジの「ドナドナ」が延々流れていた。
兄は桜色の蕎麦をたのんだ。ぼくは緑色の蕎麦を食べた。いい色だ。
ウェイターをしているのは歳のいった女性がほとんどだったのだが、やはりそういう人たちじゃないとできない接客があるなと感動した。
「本日のおすすめはこちら、桜蕎麦となっております。お味噌汁、お取り替えも承ります。どうぞご賞味ください」
若い人にこれを言わせるとマニュアルを読んでいるように聞こえてしまうが、歳をめされた婦人がおっしゃると、自然に聞こえる。
ふとしたときのしぐさやことばも、やはりぼくらの世代にはもはやうしなわれているたおやかなものばかりで、旅館に来ているようななごやかな空気がただよう。
いままで接客に興味がなかった理由がわかったが、機械のように文面を暗記して読みあげている人しか見たことがなかったからだった。やはり接客はすごい仕事だとおもう。
仕事。
仕事なんてなんでもあるのだからしたいことしなさいと兄はいう。兄は公務員だ。
一時期、職場で死ぬか殺すかしそうなほどいやなことがあったとき、彼は介護職に転職したいなどと言っていた。ぼくはなにも考えていなかったので、
「それはあなたがやらなくてもいい仕事をだれかがやってくれているんでしょう。あなたはあなたでほかの人にはできないありがたい仕事をしているんだから、それをするのがいいのよ」
と、てきとうなざれごとを口走ってしまった。
兄は子供の言葉を意外と真に受けたような顔をして聞いていた。なにも言いかえさず、いままで見たこともないようなぼんやりした顔をして宙を見つめていた。
結局辞めずにつづけている。
ごちそうさまでした。
家族連れの客が多い。駐車場に出ると兄はきょろきょろとあたりを見わたした。
「高級車ばっかりだ」
青木さんからLINEがきて「金曜の夜、家で飲みませんか?」と誘われる。その直前に予定をいれたばかりだった。
間が悪すぎる。ほんとうは青木さんにこそ会いたいのだが、まえにもたまたま予定が合わなくて家に招かれたのを断っていた。
どなどなどなどな 仔牛を載せて……。
はじめて会ったときはサイゼで3時間、ドリンクバーをこれでもかというほどたのしんだ。会計は別だった。
このとき、別れぎわに、家で会うことを確約したが反故にしたのである。
その次はガストで5時間、なんの話をするでもなくやはりドリンクを飲みつづけた。このときはおごってもらった。
そしてきのう、二度目の招待を断ってしまった。
家への誘いを断るとドリンクバーに逆もどりするという法則性が浮かびあがりそうで怖い。
あの二回目のドリンクバー大会のとき、さすがに悪いと思ったのか、「そろそろおたがいのことがよくわかってきたね」という、内側にあるやわらかいなにかを確認するようなふくみのあることばをしきりにつぶやいてきていたので、そろそろ少しくらい溶けだした甘みがくるかとおもったが、ここまでタイミングをのがしのがしやってくると、さすがにこれまでのどうでもいい人々のようにてきとうに撫でこわすようなことは踏みとどまられた。おもおもしく両手で差し出されたのなら、こちらもおなじおもみをかんじながら両手で受けとりたいものがここにはある。
こういう態度なので、相手が機をさぐっている感もある。これはぼくの一種のうぬぼれでもある。
二度のあいびきとも下品な話すらいっさいなくただ友人同士の会話に終止していたので、同類としての親睦のための会合であるのか、それとも、相手のふところに土足で踏みいるようなことをそもそも強いない上品なひとなのか、見わけがつかないのだ。
ただ、心配なのはエモいモードに入ってしまうことで、酒が入るとその確率も高くなるのでそこに留意しなければならない。
エモいモードに入ると確実に泣いてしまい、世界で一番大事にされるのは自分であって当然であるかのような言動をとってしまう。青木さんは12も上なのでそういうことは通用しないし、はずかしくてとてもできない。
おとなでもこどもでもない時間は一番楽なのだけど、どちらにも踏みぬけないのが敢えない。だれかがなにとなくこなしてきたことがじぶんにはできない。ようなきがする。
紳士服の店員の雰囲気がいやだ。スーツの入った袋を受けとって国道沿いを歩いて帰る自分の姿を想像しただけで吐き気がする。
黒いスーツなんて無理矢理売ってるだけでほんとうはだれも着たくないのにどうしてこんな紛いものがいつまでも存在するのだろう。カラフルなスーツだったら喜んで着るのに。