試論

恥さらしによる自我拡散改善法を中心に

人生

 4,5歳のころ、母親は急に思いだしたように病院に行くといって僕の手をにぎった。どこも体は悪くないのになと思った。着いた場所は、記憶が正しければ皮膚科と泌尿器科が一緒になっているところで、性器周辺の皮膚に異常がある場合などに人々がやってくる病院。


「金玉が3つあるようなのですが」
母がかなしげに言った。この女はなにを言っているのだろう。
「どれどれ」
すぐにズボンとパンツをおろされ、母と、看護婦(当時はそう呼ばれていた)とがじっと見守るまえで、はげあたまの先生に金玉をさわられた。正確には袋状の構造のなかの中身がないあそびの部分をうにうにされた。
「どうでしょうか」
顔を両手でふさぎながらわざとらしくそう言った母は心底、ぼくの金玉になにか異常なものを感じていたみたいだが、一体だれとくらべてどう異常だったというのだろう。
「うん、よくわかりませんね」医者からこういわれたときの不安感は年齢に関係ない。「まあもっと大きくなってから、異常が出てくるかもしれないので、また調べてみてください」
スパンがなげえ!
 
 僕は若干4歳にして金玉人生を宣告されたのだ。金玉のことばかり考えて生きなくてはいけないのは悔しかった。ほかの男の子ならちんちんやたまたまやうんこやおしっこが大好きだったのに、なぜ僕みたいなちんちんともたまたまとも恥ずかしくて容易に口にもできないような男の子の玉袋に試練をお与えになるのか神は。



 たしかに、触ってみると玉袋のなかになにかあるような気はしたが、人間とは面白いもので、一度玉袋に異常を感じたからといってそのことばかり考えているわけにもいかず、それは母も僕も同じことなので、最初のころは金玉に違和感がないかしきりに気にしていた母も、金玉のことをたずねられるたびに特になにも感じないと答えていた僕も、その金玉問答の回数を重ねるごとに金玉への情熱を失っていき、ついに金玉がその本領を発揮する年齢に達したころにはお互いに金玉の存在すら忘れていた。

 ここで少し妙なのは、ふつうこういうことは父親が担当するべき案件なのではないかということである。
 父親はあまりそういうことをあけすけに話すような器用なタイプではなかったので、僕のまえでちんこやたまたまの話をしたことは一度もなかった。母親は、あとから聞いた話では、子供を育てるうえで知っておくべきであるちんちんのあらゆる事情について夫にしきりにたずねたことがあったらしいが、なにも教えてもらえなかったので、風呂に入れるときにちんこを洗うのにも扱いに困ったらしい。というわけなので、金玉が3つあるらしいことを認識したときの母の不安は相当なものだったと推測できる。


 近い将来、ぼくは泌尿器科を受診するだろう。そのときにもおそらく、特別目立った症状はないのにもかかわらず、金玉不安から解消されるためにわざわざ金玉をよろこんでみせに行かなくてはいけないのがつらい。