試論

恥さらしによる自我拡散改善法を中心に

床屋

 近所にある理容店は、40年ほど前、若かった父がこの地に越してくるよりまえから、髪を切り続けている。うえの兄もまんなかの兄も僕もそこで世話になっている。
 ながいあいだ老主人ひとりできりもりしていたようだが、あるとき、ほかの理容チェーン店で修行していた娘さんが帰ってきて、それからは父娘で接客をすることになった。もうひとり娘がありそのひとも理容師だが、いまのところ店に出ているのを見たことはない。しかしまあいずれは姉妹で店を継ぐのだろうという感じがする。

 指名しているわけではないが、僕の場合、娘さんの手が空いているときは必ず娘さんが切ってくださることになっている。ご主人はかみそりを使って髪をそぐのだが、娘さんはかみそりは顔剃り以外には使わない。あと、床屋なのに洗髪があおむけというところも、このひとの特異な点だとおもう。そうでもないのか。

 さて、この床屋には別に不満があるわけではないのだが、明確な理由があって通わなくなる。

 この娘さんは非常にトークが上手である。鏡に顔を映した状態で人と話をするのなど絶対にいやだという私でさえ、いろんなことをたびたび話しこんでしまう。ひとにいいにくいなんやかやまで話していると、当然話題のなかに大学のことや就活のことがまじりはじめる。
 こうなったらもう、きゅうに生活を詮索されているような気がして、ふがいなさや気まずさが勝ってしまい、それまでの会話に豊富に織りまぜられていたウィットも失われ、しゅんとしてしまう。やはり、どうでもいい世間話をしているときが花で、実際的、建設的な対話がはじまると空気が重くなってしまう。
 いちどなど「もうお金ないので次から1000円カットにします。さようなら」とさりぎわに皮肉をおいたら、くすりともせずに「はやく働け」とこのままのことを耳打ちされたことがあった。接客としてどうなの? 
 もうこの床屋に通うわけにはいかない。怖い。殺られる。

 床屋放浪記はここにはじまる。まず、国道沿いにある古い小さな床屋へ移った。奥さんがひとりでなさっている。店内はせまく、かすかに「水」のにおいがする。ここは子供の頃、はじめて入店した床屋だった。
あのころは母の方針で長髪だったのを、中学にあがるにあたって頭髪の規制にあわせて散髪しにいったのだった。「伸ばしているのにもったいない」「ほんとうにいいの?」となんども確認されたのを覚えている。「切りながらきいてもそれ、あまり意味ないですよ、なぜならもう切り始めているのだから」と思った。
そういうような記憶をおかみさんにひとつずつ語ったところ、涙ぐんで喜んでいた。

 次にこのあいだ行ったのが、小学生のころ、真保(しんぼ)くんという転校生の子が住んでいたマンションの、向かいにある床屋。かなり広くて、すっきりした店内。居住スペースからまえかけをまといつけながら階段を降りてやってくるご夫妻は柔和なかんじで、ここをきるそこをきるという折々に逐一「ここはこうしましょうか、それともこうしましょうか」という確認をしてくださる。しかも「あなたの髪の感じだと自然に残したほうがいいですよ」などと、髪型のアドバイスまでしてくれる始末。最高ですね。

 真保くんと言ったが、ゆうちゃんというメンヘラと一緒にこの子の家に殴りこみにいくことになるイベントがあった。そのためにはまずマンションのエントランスのナンバーロックを解除しなくてはいけなかったのだが、できなくて、ぼくたちは小一時間ボタンを押しまくっていた。

それをその向かいの床屋の主人は見ていて、学校にいいつけるかなにかしたらしいようなことを、クラスの敵勢から言われた記憶があるのだが、10数年の時を経て髪を切ってもらって思うことは、あれはただの脅迫だったのだということだ。

 ここの店主はたぶんそういう、学校にいいつけるというようなこそこそしたことはせずに、店から出てきて直接「そういうことはよくないよ」と忠告してくれるにちがいない。髪型ですらあんなに丁寧に考えてくれるのだから。