試論

恥さらしによる自我拡散改善法を中心に

クソプ

図書館で何冊も貸出し機やるのめんどくさいからカウンターでやってもらおーとか思ってお願いしたら「自動貸出し機使ったことないですか」って言われて(貸出し機がカウンターの隣にある)内心なんのためのカウンターなんだろうと責める気持ちはなく自然と思った、

ほんとは使ったことあるけどわざわざカウンターに話しかけておいてなんなのって思われるのも恥ずかしいので、「全然わからないんです……」と一年生のふりをして職員に隣で教えてもらいながらやった。ぎこちない手つきを再現しながら。

そして隣で図書館とか全然来なさそうなしゅっとした体育会系の男子学生がクソ手際よく機械に通しているのがシュールであった。私もできる、ほんとうはそのくらい速くできるよ。

職員の人が機械の使い方を私に教えてくれているのを隣の彼もすこし意識して、ゆっくり僕に見せるようにしながら、手順に合わせて操作し始めた。その顔を見るとすこし笑顔だった。嘲笑ともちがう、たださわやかな笑みだった。死にたい。

僕もあんな風に笑いたい。すべての羞恥を無化してしまうほどの強い笑顔だ。友達や恋人や家族に見せるのとは異なる、見知らぬ人に投げ掛ける無償の笑顔だ。彼の笑顔によって、職員と僕のなにとない羞恥は緩和されたのだ。

あそこで僕も笑えれば自然な流れだったのに、クソプ(糞便のような自意識で形作られた、醜く愚かなプライド)のせいで周りの人を不愉快にしてしまったに違いない。ごめん職員。ごめん男子学生。そしてありがとう。