試論

恥さらしによる自我拡散改善法を中心に

メールを送る

バイトの採用担当者からの電話にでられず、留守番電話メッセージが入っていた。
「ご案内事項がございます。ご都合よろしければ折り返しお電話ください」
とのことであったが、それとほぼ同時にメールも送られてきていて、そこには今回の募集は応募多数のため5月の面接を受けるようにとの旨が記されていた。
 おそらくこれがかくいうご案内事項なのだが、こういった場合も電話をかけるべきか一瞬迷ってしまう。電話をかけたら「いや、メールで送っといたじゃん。なんのためのメールだと思ってんの」と苛つかれないか不安になってしまって胸がざわざわする。




 メールを送るとき、失礼な言い回しがないか作法にのっとっているか用件の伝え間違えはないかなどの不安がうずまき脳が爆発する。
 なんどもメールを読み返すという確認行動の発作がはじまってしまうと、もはや内容を確認するという目的はうすれ、ただ不安を解消したいがために機械的に文字を音読しつづけることになるので、最近は先に手書きでメモを作っておいて実際に入力するときはそれをゆっくり丁寧に写すだけにとどめ、絶対に二度と読まないようにし、送信予約を相手の忙しくない時間に設定して、送ることにしている。メールの意味、ほぼない。


 まず、大学のボランティア活動的なことをする団体に属していて、そこで世話になっている事務職員にメールをうたなければいけなかった。
 しばらく出向きもしなかったので近況の報告と、これまでの礼と、これ以降は活動に参加しないことなどを告げた。基本的に薄情な私がこういうことをたとえメールだけでもするのには理由がある。そこの職員に大変世話になったのである。


 授業のサポートをするのがボランティアスタッフの役割なのだが、ある日私が突然の激鬱モードにより90分間なにもせずに椅子に座ってフリーズするという大失態を犯した。
 泣きながら事務所にもどり
「きょうはなにもしませんでした。どうせ私にはなにもできませんから」
と言いすて、家に帰った。
 すべての信用をうしなって当然のことをしたわけだが、翌日カウンセリングの時間を設けていただき、引き続き活動に参加させてもらえたこと以外に、私の自殺を防いだなにかがあったとは思いつかない。これは大変な恩である。

 もう一通は指導教授へのあいさつだった。去年突然顔を見せなくなってから一度もわびもないのはよくないと思ったからだった。
 今年度も教えていただきたいということをねんごろに申し伝えたところ、端的に
「連絡をどうも。私は退職になりました。がんばってね」
くらいのメールが返ってきた。
 そうですかーと思った。