試論

恥さらしによる自我拡散改善法を中心に

前立腺④

 施術が済んだということで父に会いに行くと、別の部屋に収容されていた。痩せ細った体に薄い毛布が丁寧にかけられ、腕や脚のかたちが浮き上がって見え、まるで安置されているようだった。
 しばらく「体が動かない」とか麻酔の実況をしていたが、また寝たり、また起きたかと思ったら「喋ってるとマスクがずれちゃうから、ちゃんとした位置に戻して」などといったりした。酸素マスクを戻してやったときにはまた朦朧としていた。

 しばらくすると別の患者が運ばれてきた。この人は意識がはっきりしている人だった。妻か娘かも一緒にいた。
 するとそこに、あの執刀医がすぐあとから入ってきて、その人たちにまず挨拶をしている。その家族は大層ねんごろにお礼などを述べていた。

 言葉遣いがとても上品で、母が言うには「東京の人っぽい」とのことだったが、ぼくが思うに単に金持ちなのだとおもう。医者の方も丁寧な様子だった。様子を見る限りその家の主人はなんらかの大病をしたらしく、命をながらえるための手術がおわったあとだった。我が家の経済では見殺しにするしかないような病かもしれない。

 それから話が一通り済んだのか、医師はついでのような感じで父のベッドものぞきにやってきて、「一応ちゃんと取りましたから」という、意味も文脈もよくわからない言葉を無表情に、前髪をかきあげながら母を一瞥し放った。こちらも深く頭をさげて礼をいったが、それで相手が丁寧に返してくるということは案の定なかった。なにしろうちは金を積んでいない。軽病人はとっとと帰れである。

 病院にきてみすぼらしい気分になったのははじめてだった。父はうわごとのように「天気はどうなの」と言った。大雪で大変だといったら、あんまり言葉が理解できないのか、なにも言わずにまた寝はじめた。帰りしな入試の心配をしてくれたので、頑張りますとのみ述べたが、全然勉強してなかったからやけくそだった。いまは前立腺のことだけかんがえてろとおもった。

 あとから聞いたら、父はあの部屋に僕たちがいたことすら覚えていなかった。