試論

恥さらしによる自我拡散改善法を中心に

 西武線にはじめて乗る。電車に疎い。

 電車にというかこの世のすべてだが特に地理に疎く、位置関係をつかめない。多分脳がなにかあれなのだ。乗換案内アプリなしで電車にのれたためしはない。土地勘とは結局は知識の累積であるが、そもそも私は知識の必要なことを避けるきらいがある。感覚だけでどうにかなる世の中になれよとずっと腐っている。

 目的地がなければ迷うこともないと、手のなかにある本がいう。目的地もなくさまよっている人はたくさんいるが、この作者のように本を出版することになった人はこの作者しかいない。安田チーフになんて感想を言おう。

 やがて電車が到着したのは建てもののいちいち真新しくつやつやしている駅舎だった。向かおうとしている場所は妖精の住んでいるところを再現した遊び場だったから、その妖精を布や樹脂で作ったものを販売する店も入っている。フィンランドの人は、日本の郊外の駅がまるまるひとつあの妖精のために興されているなどとは知らないだろう。

 改札を出てすぐ前に、複数人で座るのにちょうどいい大きさの木製のブロックが三つ、電子掲示板を囲むように配置されている。ブロックはそれぞれわずかに異なった切られ方をしていて、私が腰かけたのは凸の真ん中を若干低くしたみたいな形をしたものだった。あとのブロックには登山の格好をした高齢者たちが座っている。臀部に伝わってくるかんじで本当は木製でないことがわかった。あたりまえだけど、年輪を塗装で表現してあるというだけで私は、これを木製のブロックだと思わされた。

 お互いはじめてくる場所ではじめて会うために待ち合わせるなんて妙だ。待ち合わせた相手から遅刻する連絡があって、最高だった。私のほうが早く着いていて最高である。自分が遅刻しすぎるせいで他人の遅刻はむしろ最高である。私じゃなくてあなたが遅刻しましたね、最高ですねと思う。待つ時間が一番安らぐという性格のゆがみ。

 文のやりとりで相手に知恵があることはわかっていたから疑いもあった。木製に見せるために塗装しているのではないかという疑いである。

「つまさきをあげている人ですか?」

とメッセージがあって、つまさきをさげた。しばらくしてから黒いマントを羽織った細長い男の人が歩いてきておじぎをした。

「お待たせしてすみません」

「いいえ、どうも遠いところまで」

「おたがいさまです」

歩きはじめてすぐ、その人の衣服から沈香を聞く。

「芋餅はどこの料理でしたか」私はなにがどこの料理かみたいな話も全然しらない。

「北海道などです」

「調理実習で芋餅とはめずらしいですね」

私の最初の調理実習はサラダと味噌汁と白飯だった。絶対に芋餅より実用的。

 そこからバスに乗った。行き先の表示のところになんとかというカタカナの駅名があったのでこれだと思い乗りこむ。運転手がマイクを通して始終なにかしら次揺れますだの右に曲がりますだのという声がとても和やか。それに耳を傾けなければならない私たちにはなにを話そうか悩む必要などない。

 村に着くと、大きな乳母車を押した褐色の女性が、二人の子供たちとバスを降りるのに難儀していた。優しい運転手がうしろの扉が広いからうしろからお降りなさいと言ったあと、後ろの両開きの扉がおもむろに開く。理解した乗客たちは狭い車内を左右に身を寄せて退路を譲った。女性は、前方にむかってぞろぞろと降りようとする乗客たちの足を乳母車で轢きながら逆行する形となる、sorry sorry と繰り返しながらである。初手芋餅の男はこの人を避けながら no problem と正しく発音した。私にも聞こえるように言われたような気がしてこっぱずかしくなり、聞こえなかったふりをした。

 森本レオみたいな喋り方の運転手が大好きになってしまいながら村への門をくぐり、トースターと炊飯器を迷ってトースターをおくということ、またはパンについて論じながら静かな湖畔を半周して、また引き返した。途中、からす、都会の暴力的な目をしたのとは違う穏便なからすが黒い翼を照らせながら日差しに飛び込むのを見た。この人にとっては自然なのかもしれない。 no problem なのかもしれない。

 テラスのパラソルヒータに近い席に座り、昼飯を食べる。相手はシナモンロール、私はビーフシチュー。案外大きい牛の肉が入っていたので内心よろこんでいたら「かなりちゃんとビーフですね」と指摘された。

 ヒータの近くなので、客はこのあたりに密集する。人間より犬のほうが多かった。犬を連れてくることが公式に推奨されているのである。多種多様な犬がいたが、一番多いのはプードルのたぐい。ひどいときなどは我々の横を二匹でカートに乗せられたプードルのたぐいが通り過ぎたと思ったら、また別の人が同じようなプードルのたぐいを同じような押し車で同じような動線を運搬しているのを見て、ふたり笑った。

 てっきり、自分の好きなたぐいの犬しかこの世にはいなくなったような気がすることがある。去年少しのあいだ好きになった人は、プードルやチワワのたぐいが大嫌いだったのを思い出す。あのときも二人公園にいて、私も一緒になって小型いぬのことを貶した。でも私はどちらかというとプードルのたぐいだったのだ、あの人にとって。どうしようもなく愚かだ。

 目の前の人はなんにでも興味があって、ほとんど全部のことを良い良いと言った。天気がいい、犬がたくさん見られていい、湖にいる鳥が潜ったり浮いたりする様がいい、シナモンロールがいい、コーヒーがいい。だから私も一緒になってすべてについてよくなった。

 一通り村を遊歩したふたりは妖精の谷への入り口に立たされたが、その門はあと30分で閉まるというので、入るのをやめた。

 我々は帰るときにふと特別急行の乗り口を見つけ、なんかもう乗ってみたい楽しい気持ちになってしまい、追加の運賃を払ってまんまと乗った。内装も外装も黄色のこの電車ならば東京へはほんの15分ほどだという。数人の仕事仲間とともに前の座席に乗ってきたサラリーマンが「少し倒します」と私に向かって言うのが聞こえてどきっとした。知っている人にするみたいな態度で有無を言わさず座席を倒してくる小慣れた手際に、出発するまえからわくわくしてしまった。そしてその車内でこのあと行く店を提案されて快諾した。

 しそ餃子。紹興酒の味をはじめて知る。差し向かって話しているうちに、だんだん相手の顔がさっきと違うように見えることも。良いことでも悪いことでもないが、いろんな顔をしている人なのだった。いや、良いことでも悪いことでもある。

 店員が高校時代の国語科教諭に似ていた。馬術の試験を受けるために学校を休んだり、そのすぐあとに大病をしてICUに入ったりしていた先生。店の入り口に一番近い卓にはなにやら伝票の貼り付けられた袋が並べられては外から来た男に受け渡され、また新しいのが作り足されていた。先生は「はいごくろうさま」とひとりひとりに声をかけて餃子の袋を手渡していたが、言葉が通じない外国人生徒も何人かいるようだった。東京での、食べ物を配達する機能を利用する人の多さに感心する。

 目の前の人はお酒をよく飲んで、餃子をよく食べた、おいしいおいしいと言った。私もおいしいと思った。少し悲しかった。

 地下にある店から黒い夜に向かって階段をのぼると、ちょうど目の前ではずんぐりと肥えたサラリーマンが、電動キックボードで発進するところだった。後輪の後ろにはケーキに飾るチョコレートの板のような小ちゃいナンバープレートがついている。

 蹴らなくて発進するんだ。ね、はじめて実物見ました。酒の場所から出てきたぼくたちの足取りにいらいらしたのかしら、仕事帰りの別のおじさんが通りすぎざま、どんと肩をぶつけてきた。舌打ちも聞こえたかもしれない。早足で遠ざかっていくスーツ姿のおじさんを、キックボードの法整備について話しながら目で追う。あれ、私は定職に着いておらず、貯蓄もなく、夢も希望もなく、いつ食いっぱぐれるかの瀬戸際である、一方あのおじさんはというと毎日社会の役にたち、相応の金をもらい、あの歳まで生きてきっと家族がいて、今後も大体どう歳をとっていくかの安定的な計画が立っているはずなのに、なんだか今だけは僕の方がうんと恵まれていて、おじさんが死ぬほどあわれだ。

 

 家に帰ると部屋はひどいありさまで、自分のにおいがするような気がした。明日も休みでなにも予定がないのだといったあの人を聞き流してよかった。私は一日外に出るために相当繕わないと出られないほど不潔な巣穴に住む虫なのだから。

 しかしあくる日、我々は同じ鈍行に乗って出かけた。彼はまたすこし遅れてきた。

 雛人形を売る店店を横目にたどりついた建物は正四角柱。とびらを開けて中に入ると、天井も壁も床も曇りのような色をしている。いらっしゃいと言われてよくわからないまま、もとからいた数人の人たちの真似をして、なんとなく歩く。小さな部屋のすべての隅にいろいろな形の、しかし同じ色味の陶器が展示されており、人々はしかもそれらに触ったり両手に持って見比べたりしているから、買うつもりなのである。

 よくはわからぬが芸術家風の女性がふたりいて、客に片っ端から話しかけて器の説明をしている。二人揃って入店したはずなのに、彼は二階に消えてしまった。ぼくは怖くなって、ひたすら陶器らを眺めた。そして見れば見るほどどきどきした。

 陶のもので見たことがあるのは茶碗とか、湯呑みとか、長方形の和皿くらいのものだが、そこにあるのはもっと様々な形のうつわだった。洋食で使うような平皿が何枚も重ねられていて、その縁はどれもぽってりと分厚く、持ちあげてみると指に吸い付くような重みがある。

 二階へ行った人を追いかけて二階に上がると、そこにはマグカップなどがたくさん。その人も今日はコーヒーを飲むものを探しに来たのだそう。ためしにティーカップの持ち手に指を入れてみると、これももっちりとして心地がよかった。

 その横では、小綺麗なラッパーのような風貌の男が広い皿をずっと見くらべていた。深みもあって、使い道がよくわからない器たち。サラダを大盛りにしたら取り分けやすくていいんじゃないの。

「これはなにを入れるんだろうね」

売り手の女性がラッパーにたずねた。

「煮魚」

とラッパーは答えた。ちゃんとした様相でこんな面白いところにひとりでいるくらいだから大人だろうと勝手に思っていたが、にんまりとして煮魚と言う顔を見たらまだ成人しているかもわからない男の子だった。東京だなとおもった。

 私はどんぶりだと思うものを買った。器は白い紙袋に込めて手渡された。コーヒーカップと小皿を買った人の袋にも、私の袋にも、それとは別になにか筒状に丸められた表彰状のようなものが差さって、半分飛びだしている。

「なにを入れるの」

器売りの女性がまた問うので「麺」とだけ言って私たちは店を出た。ドアをしめる寸前までわんたんもいいかもねとかきこえた。

 それから近くの喫茶店にふらっと立ち入る。店のまえに展示されたメニューの見本が、べつに実際の食べ物ではなさそうなのにひとつひとつラップフィルムで包まれているのが変で、入るしかなかった。店内の明かりは窓からの日のみでぬるんでいる。

 サンドイッチを頼んでみれば盆の肩に塩の瓶がのっている。あとで調べて知るまでははじめてのことでふしぎだった。向かいの人に運ばれてきたのは、さっき厨房で主人が卵をとくところから聞こえていた明らかなオムライスだった。それに関してもこの人は、たまごがよく焼かれていていい、とろとろのを食べる気分ではなかったからと、なににつけても良い良いという。私も、塩がのっててなんかいいなと、ハムやらきゅうりやらを挟めた小さなパンをかじった。そのままでもじゅうぶん味がおいしい。塩はいらない。

 コーヒーも濃い。しかしカップの持ち手は磁器のくせに角張っておりなんだかまったく気持ちよくなかった。よい器を知るというのも考えものだ。ほかで満足できなくなるようなこと。

 窓の外! 振り返ると、またぞろプードルじみた犬を胸に抱いた飼い主が、走って通り過ぎるところだった。点滅する青信号が目に浮かぶ。わけのわからない顔をしておとなしくもっちもっちと揺られるプードルの首の動きを真似して、笑った。まるで横断歩道を並走したかとおもわれるほどじっくりと犬の表情を見物できたのは、横長の窓の端から端までを伸びのびと駆けぬけてくれた飼い主のおかげである。

 

 夜、本を読み終えてベッドに入ったぼくは、安田チーフになんて感想を言って返そうか、すこし考えながら目を閉じた。関西の人はほんとうに納豆を食べないのですね。迷子になる作者には共感します。頭のなかで時系列がめちゃくちゃになったときには病院にゆくことでしょう。この作者も病院には行っているでしょうけれど、病気だとは明記していないところが本質のような気がします。私たちはどこでもない場所をさまよっているだけなのです。いつもそんなことばかり考えてきた。あしただれになんていおうか、なんて書こうか、気に入られているだろうか、嫌われていないだろうか。

 ツラちゃんからずっと返信がないのを忘れた。

 たとえばお父さんの親友が苦しみの果てにその闘病生活を終えたとき、お父さんはちっとも悲しそうじゃなかった、だからお母さんは怒っていた。ぼくは馬鹿で、理由を考えるのをやめた。なにも考えるのをやめたことを、ここに書いた。それで許されるような気がした。

ふりかえし

 一生はきっともっと短くなる。光の速度は死なのだとおもう、わたしたちの時の流れが光に追いついたとき、わたしたちの肉体以外は光になって終わるのだと空想する。だからタイムマシンは成功しない。

 短いだなんてはじめて思った。光るみんなはもっとはやくに気づいていただろうか。

 昨年中はわたしといて愉快そうにしてくれる人を妬んだ。あなたらはどれだけ心が豊かなのか、とても爽やかに過ぎてしまい、最悪だった。わたしって空っぽで、他者によってそれぞれの空想や思い出を投影されてはじめてまともに存在しているっぽいような受像器なのだ。

 

 KくんのLINEの一文に「今年の振り返し」という言葉があって、新しい言葉だと嬉しくなった。自動詞と他動詞の区別が苦手なこの子の誤り。面白がってはいけない、だから本人には言わず、じぶんだけのことばにしてやろうと思った。

 

眼鏡等

 一月、教習所に入所したころひどくひとりだった、いいえ電子的な情報たちが与えてくれる賑やかさを友達の喧騒と聞きちがえていただけで、本当はずっと昔からおなじなんだけれど。

 それらの情報源を断ったぼくは中学生のころにもどっていた。まだインターネットの文法に触れていないときの主観的で自由な自分。無限の他者の存在などはなく、知覚できる範囲内で完結している平たい世界。それが自分の帰る場所かと問えばそういうことではなかったが、ただかつてあった精神の位置にもどった。

 英語や韓国語をなんとなく学び直し、なんとなく脳の衰えを実感した。物質としての私は確実にすり減っている。その延長で車に乗りたいと思うようになった。だれもが簡単そうに鉛の塊を操縦しているというのに、やってみないまま終わるのは惜しい。

 車を教えるところは若者でごった返していた。疫病の影響で卒業できなかった人がいるぶん混み合っていると言われたが怪しい。それとは関係なく許容超えが常態化しているらしくまともな方法では教習の予約がとれない。免許を取ろうとする人の多くは学生で、彼らには実際にも気持ちのうえでも時間がいくらでもあるから平気で朝から晩までキャンセルが出るのを待っていたりする。私も同じつもりになってそこで時間を潰しまくった。

 これを「車に乗れるようになりたかったら朝から並びなさい」と言いたげな教習所のスタンスが、中学の体育教師の理不尽さを彷彿させる。純粋な知識の伝達ではなく、精神性や道徳を刷り込むような、宗教的な種類の教育というものはもうこの先受けることのない最後の教育だろうとおもうと、逆にありがたかった。

 坂道発進に差しかかった私はあたりまえにうまく行かなかった。算数の七の段、体育の逆上がり、ギターのF、スネアのオープンロール、トロンボーンのhiG、坂道発進

「あなたは絶対にこの先行き詰まる。坂道以前の問題でね……」

そう不吉な予言をつぶやいたあと鈴木教官は坂道発進の指導を中止し、ただ所内を回るように指示した。教習が始まる前は小柄で柔和なおじさんだったのに、いつのまにか殺し屋の目をしている。二速入れる、クラッチ繋ぐ、遅い! アクセル踏む、遅い! のろのろ右折したら迷惑! 二速、クラッチ遅い! クラッチ! アクセル! クラッチ! アクセル!

「どうする! 坂道発進は諦めるか! できるか! やるか、やらないか、どっちだ!」

「やります!」

できなかった。教習が終わり殺し屋が降車したあと、私も車を降りる。ふわふわしたアスファルト。足の裏が綿になってしまった。

「ねえ、俺はあんまり厳しくするのいやなんですよ」いつのまにか現れた小さなおじさんが満面の笑みで言う。「次はゆるくやらせてくださいね」

 

 その次というのは春になった。無線教習を終えてある程度自信過剰だった私の慢心は、鈴木教官によって再び厳しく戒められた。

「あなたはやさしい。運転に向いてない。人としてはとてもいい人だけど。仕事はなにしてるの」

校舎まで並んで歩きながら鈴木指導員が言う。

「スーパーで働いてます」

「企業名は」

「スーパーとんぷくです」

「ふうん。部門は?」

「加工食品……」

「売上構成比いくつ?」

「なんでそんなことまで……」

「バイト? どこの店舗? 鰓谷南店? 六大夫店?」

「六大夫です」

「グロサリーラインは300デプトだったね。農産250、海産260、惣菜270」

「あの、なんで……」

「あなたのことが気になって調べたんですよ。帰りはどのバスで帰るの?」

教習中の殺し屋の目よりもにこにこしながら不気味なことをいうほうがよほど怖かった。

 そのあと怖いのでさっさと帰ろうと乗り込んだバスが出発する時間にも、鈴木指導員は現れた。乗り口から体だけ乗り込んでくると運転手に「ちょっとまって」と言いながら、私の手を握る。

「今度店に行くからさ。よろしく。そのときはチーフに『三番行ってきます』とかなんとか言って、そしたらふたりでお話できるからさ。じゃあね。また必ず教えるからね。またね」

教官の青い服が車外へと消えていくと、バス内には妙な余韻が残った。三番行ってきますとは、トイレに行くので持ち場を空けますという意味である。

 

 また、ある初夏の日差しのしたには、検定車が回ってくるのを待つ私に話しかける人がいた。彼はさっき指導員からのぶさんと呼ばれていた。どうやら「のぶ」という苗字らしい。

「よろしくっす。緊張してますか」

のぶさんは指定された待機場所に歩いてきてすぐに私の心配をしている。手入れされた茶色い髪のつやと、ピアスがひかる。

「はい、とても。しませんか」

「全然しないっすね。余裕っすよ」

私は不安だった。理由はふたつある。この人が自信に満ちあふれていること、一方私は「実は一回落ちちゃったんです」二度目の受検であること。

「えっ。マジっすか」

マジなのだ。そのころ同居人に家賃を払ってもらえなくなり、その人の荷物を片付ける過程で次の女からの手紙を読んでしまい、トイレが詰まり、金もなくなり、小さな失恋に毎日泣き、検定に落ちて泣き、完全に自信を喪失していた。もうこのまま車を操縦することのできないまま死ぬんだ。ギターも弾けず、ドラムもへたっぴで、受験に失敗し、就職もせず、車すら運転できず死ぬのだ。

「こんどは大丈夫っすよ。絶対」

所内をとろとろ走る遠くの教習車たちを眺めながら聞いた。そのあと検定が済むまで、のぶさんはひとことも話さなかった。合格した。

 数日後路上にはじめて出るときに、まだ遠くに見える門の邪魔なところにひとりぽつんと、人の後ろ姿があってこまった。教官が「大丈夫だから進んでごらん」というので近づいてみると、エンジンの音に気づいて振り返ったのは煙草をくわえたのぶさんだった。ぼくがあっと声をあげた理由を教官は知らない。

「また、いつか」

「そっすね。またっす」

検定が終わったとき、そう言い合ったのをおもいかえしながらハンドルを右に右に切った。むこうはちっとも覚えていないみたいだった。ぼくはずっと忘れないとおもう。

 

ドーナッツ

 『夏の終り』がたしか自分のいつも座っているところの小棚にしまってあったはずだと思いだした母は、伯母と電話を繋いだまま探すが、ない。

 なぜなら私の本棚にあるから。母を文学に触れさせようとした時期、世俗の内容を文学の手法で表現するこの小説なら入り口としてよいと考え私から与えたものを、母は読めなかったから、私が読んでじぶんの持ち物にしてしまったのだった。

 チーフに本を借りたので、こちらからもなにか薦めようと実家に寄って数冊持ち出そうとするのを止められ、『夏の終り』を読みたいから持って行かないでという母。きっと伯母と瀬戸内寂聴が死んだ話にでもなったのでしょう。

 探していたのは綿矢りさの『かわいそうだね?』だったが、なかった。代わりに適当に拾いあつめたのは『憤死』、藤野可織の『爪と目』、さくらももこの『そういうふうにできている』。

 しかしどれも貸す気にならなかった。表紙をながめるとひとつずつ、貸さないほうがよい理由が浮かんできてしまう。

 『憤死』は死とつくのがよくない、綿矢りさは受賞会見のイメージからか女流作家の柔らかさを想像されがちだが、結構アナーキーである。『爪と目』は母娘のよくない関係性を描いたかなり緊張感のある話なのでこれもよくない。『そういうふうにできている』はさくらももこが妊娠中に感じたことを綴った心温まるエッセイだが、ふたまわり近く上の女性にこれを貸すのは気持ち悪い気がする。そもそも『かわいそうだね?』などは前の女が現れて彼氏の部屋に居候しはじめるという最悪の内容なのに、それをおすすめですなどと言った無神経さが恥ずかしい。

「同棲していた人が急に帰ってこなくなっちゃったんですね。今年はそれで結構病みました」

私がレジの金を金庫に投げながら言うと、安田チーフは画面のシフト表から目を外して『ひどいね、女の子?』とたずねた。

 そのお返しに読みきかされたチーフの失恋譚はそれよりも、『かわいそうだね?』よりも、『夏の終り』よりも苦かった。いま笑って話せているのはもう十年も昔のことだからねというが、絶対に本を貸さなくてよかった。

 細美武士、藤井亮、浅生鴨、工藤玲音、100%ORANGE、好きなものをたくさん教えてくれたチーフに返すのによいものがなくて、最近見つけた "The Tea Dragon Society" を薦めることにした。閉店後の駐車場でぱらぱらとページをめくり、絵本作家になるのが夢なのだというチーフ。『ドーナッツ! マイボー旅立ちの詩』を読み終わったころ、店に導入されたドーナツ屋の什器。歯車のようだった。

 できたばかりの青い免許証と金の免許証とを見せあって、免許の写真はめちゃくちゃになりがちと笑った。そのときにお祝いでもらったハイエーストミカは玄関に飾っている。

 

 最初に報告したのは親だった。免許を更新するか返納するか悩んでいた父親が、ついに決断したころである。

「でも寂しくないの。くるますきなのに」

穴の空いた免許証は終りを強く感じさせる。ぼくはあまりよく見ずに父の手に返した。

「いや、全然ないね、もういやになるほど乗った」

父はもっと愚かだったはずだ。他者の穴にも自己の穴にも無自覚で、分析的ではなかった。

 このごろ、にこにこしている。母も、父以外のまえではにこにこしている。まるでこの世のことがなにもどうでもよくなったみたいだった。あるいは、私ももうこの人たちにとって内側ではなく、外側にあるものになってしまったようだった。またあるいは、ぼくのことはもう平気だと思っているようだった。

「ちょくちょく顔見せなよ。俺たちももう長くないんだから」

もういやになるほどというものを私はまだ知らない。きっとこれからも知らない。この人が空白を受け入れ、自分の一部として捉えはじめている。かつてそんな人間では決してなかったのにでもそれは私が想像しなかっただけで、その手はなんどもだれかにふりかえされていた。失いたくないもの、足りないものばかりの手ならば握ることしかできない。

文身

 かねて聞いていた身体的変化が出始めたのを契機にもう、父親とは銭湯に行かないことにした。わたしはそのころから毎日、なにかを誤っているような気がしているし、大抵みんなそう。

 

諸尊

 浴場のタイルに足を踏み入れるとまず、右奥の薬湯に一番近いカランが空いているのを確認する。空いていたのでその席をとる。

 立方体の浴槽に湛えられた茶褐色の湯はいつも人肌程度の温度に保たれており、それは長く風呂に浸かりたいぼくには好ましい温度だった。

 その日は、男湯のどこからかわんわんと反響してくる威勢のいい談笑を聞きながら髪や体を洗った。夜のあまり賑わっていない時間に来ているので若い声がするのは珍しい。

 さて風呂に浸かろうかというとき、この威勢のいい声の主たちふたりがすぐそばの薬湯めがけて歩いてくるのを背中で察し、その威勢のよさになぜか身動きがとれなくなった。壁に貼られた丸い鏡で自分を見るふりをする。ふたりの男の体積のぶん溢れだした薬湯を足の裏に感じる。彼らがそこをどくまで、体を洗う工程をもう一度ゆっくりやり直すことにした。

 しかしこのひとたちはここはぬるいねなどと言いながら全く湯から上がるようすがない。三回目の洗髪に突入しかけたころ、特に威勢のいいほうの声がこちらにむかって飛んでくる。

「お兄さんもしかしてここ待ってますか」

ぼくはバレてしまった。はっとしてその人のほうを振り返ると、

「いえ、大丈夫です」

にこにこした球体が浴槽のへりに乗り出してこちらをのぞいていたので、ぼくもなるべく笑顔で首を横にふる。奥の方にいる比較的赤ちゃんの度合いが高いほうの人は微笑んでこちらを見たままなにも言わなかった。

「一緒に入りましょう。寒いですよ」

断る理由もないのでじゃあと言って立ち上がり、湯船のなかに片足を突っ込む。同じような形をしたふたつの体は、三人には小さめの湯船のなかをきもち端に寄って、ぼくのための湯を割りあてた。

「お兄さん何歳ですか」

「14歳です」

そしたらもうすぐ高校生ですね。高校は楽しいですよ。自由ですからね。俺も高校のときの先輩にめちゃめちゃ面白い人がいて、その人が彫師になって、俺彫られちゃってこんなことになっちゃったんですけど。えへえへ。

 とめどなく発話しているのは、ぼくのすぐ隣でぷかぷか浮き沈みしているほうの赤ちゃんだった。その肢体の全面には和彫りが入れられている。神仏や伝説上の生き物たちがつるつるの体のうえに住み、一緒に薬湯のぬるさを褒めていた。来迎図のまえでぼくの身体は木の枝のようであった。

「お兄さんなにか部活やってますか。俺は高校のとき植物部でした。こんな見た目なんですけど意外と」

「なんだっけおめえの好きな草」奥にいる赤ちゃんが言った。

「ミドリクサ」

「なんなのそれは」

「ミドリクサ、山に生えてんの」

「なんなの。聞いたことないのよ」

この和彫りとは何度か会うことになるが、生業についてもミドリクサについてもよくはわからなかった。

「文芸部ってなにをする部活なんですか」

和彫りの住んでいるところはぼくの家と同じ通りにあったので一度、一緒に歩いて帰ったこともあった。そのころぼくは高校生だった。

「小説の真似をしたり、みんなで短編を募って製本したりする変な部活です」

「マジすか。俺もそういうのやりたいんですよ」夜道にはぼくがぼくの自転車を押すカラカラという音のほかは和彫りの威勢のよさだけがあった。「マジで原稿用紙買いました。マジで」

それで俺のいままでの人生を書き綴ろうと思ったんですね。自伝を書こうと思ったんですけど、なんか俺漢字が書けないんですね。ずっと気億って書いてて、なんか変だなとおもって調べてみたら記憶でした。

 和彫りが飲んでいる缶ジュースは、風呂屋のカウンターでぼくにも買い与えようとしたのを、断ったものだった。歩いてる最中にもしきりに「飲みますか」と聞いてきたが、ぼくは大丈夫ですとだけ言った。

「おれっちここなんですよ。寄っていきますか」

「大丈夫です」

桃鉄ありますよ」

「大丈夫です」

ここによく白い車停まってると思うんですけど、それはおれっちの車です。今度高校のときハマってた遊び教えてあげますよ。メアドめちゃ簡単なんで覚えて帰ってください。yourway@ezweb.ne.jpです。困ったときはメールくださいよ。あと文化祭行きたいんで誘ってくださいね。

「大丈夫です」

まあそうっすよね。こんなのが来たら事件になっちゃいますからね、えへへ。じゃあまた一緒にお風呂入りましょうね。

 その次に会ったとき、ぼくは一向に大丈夫ではなかった。和彫りもまえのようにはにこにこしていなかったし、遠慮がちに「こんばんは」と言っていた。脱衣所で入れ違っただけだったが、お互い背中を向けたあと、和彫りと一緒にいた男が私のことを尋ねているのが聞こえた。

「だれっすか」

「うん、ともだち」

それから和彫りは姿を見せなくなった。ぼくもぼくで、和彫りのことは忘れた。

 大学に進学した年の秋ごろ、馴染みの風呂屋が店を畳んだ。最後の日には女将がカウンターから出てきて、「いままでありがとう」とタオルやら石鹸やらの入った紙袋をそっと手渡してくれた。そのときにふと和彫りを思い出したのが、一度目。

 私は二十六の年を終えようとしている。たしか初めて会ったときの彼らと同じ歳だ。いまふと和彫りを思い出したのが、二度目。

 

稲妻

 フトアゴヒゲトカゲは十年生きる。

 葛西臨海公園駅は疫病特需で不謹慎にも大賑わいで、連休を利用して訪れた人々で溢れかえっていた。すぐとなりには米国生まれの鼠人間を呼び物にした遊技場がある。あちらの駅を通り過ぎてこちらの駅まで乗る人などは平時であればほとんどなかったが、いまは全く逆転している。

 駅舎の横にはつい三年ほど前までは高架のコンクリートが丸出しになったようなファストフード店の一店舗があったがそれも潰れ、ついになにもなくなったかと思われたものであったが、このごろの集客に目をつけてか便利屋も喫茶店も、なにやら料理屋と土産物屋が一緒になったような、若い人が地域を興すために考えそうな洒落たものまでできたりしていた。

 それらを通り過ぎて、指定された場所、交番横の木の下の、花壇だか噴水だかの石の構造のうえに座って本を読んでいる人がおそらくその人だったので、そっととなりに座った。いまは春の暖かくて、柔らかく曇った昼すぎである。

 私たちはどうだっていいことを話しながら、画面越しに三か月ほど続けてきた文通のそのまた続きを口でしながら歩き、やがて人の少なく静かな松陰の、池のあたりを見繕った。冴えた土の上には涸れた松葉が降り積もって、絨毯のよう。池の向こう側では子どもたちがゴム球を蹴って遊んでいる、ぬかるみにも関わらず。

 そのひとはふたりで座れるおおきさの化繊の風呂敷をおもむろに手提げから取りだし、土の上に広げた。池にむかって谷になった斜面が座るによい角度だね、そうですねと言い、そこでおのおの持参した昼飯を取りだした。

 天丼と揚げた鶏を持ってきたこの人は、揚げた鶏の一枚を私に分けあたえる。皮の濃い味をおかずにして、私はパンを食べた、西船橋駅にあるパン屋で買ったパン、柔らかいパン。

「ミントをたべちゃったりして」

食後薄荷の粒を上下の歯で挟んだあと、となりに座っていた人は消化のためにあおむけに寝そべった。それに倣って私も体を倒した。太陽の位置がわかるほど明るいのに、薄曇りはサクマのいちごミルクの舌ざわりをしている。あとから思えばわざわざだれも見ていない場所が選ばれたのに、空に生えた松の葉ばかりを観察していたのは妙だった。この人が鳥類園の高い生垣に蔓を伸ばして開いている突飛な花たちに足をとめたとき、

「なにこの花は」(小さな花はいくつかの部品に分かれている。基底に白い花弁があり、そのうえに紺色の環のようなものが重なる。よく見るとそれは花芯から放射線状に伸びた細かい毛の先端の青色が連なることで表現されている。おしべだろうか。その中心には人工物をおもわせる構造体が突き立っている)

私は確信した。間違っていようと合っていようと、確信した。

トケイソウです」

これは昔から母がよくいう花の名前だった。しかし実物を見たのはこれが初めてだった。それなのに私は確信している、これはトケイソウだ。どう見ても時計の形をしているし、この花以外にトケイソウと呼べるほどの花はない。

「ほんとうに時計みたいな形をしていますね」

「ええ」

桜、蒲公英、時計草。文字盤の0から6では、きっと私のなかの少しの善意に免じて神様は、しかたなく平等に祝福を注いだのだと思った。でも6から次の0では、母から継がれた花の名の持ち主を知るに至ったこの日の物語性は、解けることのない呪いになるのだと予想した。私は永遠にこの日やこの人を忘れることができないのだ、時計草の名のもとに。

 犬を散歩させている人たちを指してはああいう犬は嫌いだのこういう犬が好きだの、こどもを遊ばせる檻のなかにいろんな子供が一緒くたにされているのを指してはあれの親はどれだとかこれとそれが兄弟だろうだとか、東京湾に面した岸を隙間なく埋め尽くすようにして並ぶ蟹釣りの子たちの臀部をみながらああいうところにはあまりいないよと笑ったり、こういうところにもいるんだねと感心したりした。その全行程中ずっと、この人はくしゃみをしている。ひどい花粉症なのだった。会うまえから読んで知っていた。

 さっき油ものだったから比較的あっさりしていそうな韓国料理にしましょうか、日暮れから逃げて新浦安までたどり着いた私たちは向かい合って座った。それぞれなにがし定食とやらを頼んで、さらに韓国風茶碗蒸しと銘打たれているものが気になったのでそれはふたりで分けることにした。それは銀色の丸い器に詰め込まれていた。半分ずつ匙で崩して食べた。

「底の部分は食べないほうがいい気がする」底の焦げ付きをこそいで食べようとした私は心配された。「しょっぱいから」

「それってほんものですか」私は右手の拳を相手にみせて答えた。

「なんですか」

「指の」

好きな季節についてわざわざ何行も書いたことなどなかった。よくも知らない植物や爬虫類のことを聞いて嬉しくなったことなど一度もなかった。だからといって私はいつのまにか所有しようとしている。右手の人差し指にある雷光を象った刻印が、神の怒りに代わってこの傲慢を罰した。

「いいな、ぼくも挿れたいなあ」

ちょうど指環の石がくる位置に。

「それって、合わせて言ってくれているだけですよね」

「いいえ。結構本気です」

「ぼくは好きでやってますから。でもおすすめはしません」

そのあとのひと月ほどのあいだに徐々に減っていった私の分の言葉に苦しんだ。私に向けられるはずだと勝手に思いこまれていた言葉たちが減っていくのを日々感じるたびに、その出処を突いたり叩いたりした。しまいには壊れてしまった文字盤の上で針を進めては泣き、進めてはフトアゴヒゲトカゲへの転生を夢見た。

 

切創

 さっきまでいた教習所の所内やバスの車内、ポケットのなかもかばんのなかも探したけれど見つからないのに🎶

 「すみませんけど合鍵が見当たらないので自分で壊してもらってください、では」とだけ嬉しそうに言い残して、じゃらじゃらと鍵の束を鳴らしながら去っていく大家。ヤバいなあと思った。鍵を失くした私が百パーセント悪いんだけどざまあ感出してくる大家ヤバいなあ。

 管理会社に電話をしたらわかりました、鍵の会社から折り返し電話がありますからそれまで待っててくださいとのことで、私は近所の寺の境内に立つ柳の木陰で涼んで待った。夏の暑い正午の鐘が聞こえた。それからまさか日が暮れるまでなんの音沙汰もないなどとは想像もしなかったが、日が暮れるまでなんの音沙汰もなく、ただ灼熱の屋外で六時間ほど耐えた。

「本日はもう営業を終了しますので、うかがうのは明日の12時ごろになります。四万七百円現金で御用意ください。それでは明日よろしくお願いします」

本日の12時に電話をしたのですがいままでの空白の六時間はなんなのでしょうか。それ以上に鍵がどこに行ってしまったのやら、ひとりでどこかに歩いていってしまったとしか言いようのないなくなりかたが不思議で、もうなにも驚かなかった。じぶんのせいだから。

 近くの漫画喫茶に入って『夫のちんぽが入らない』と『団地ともお』を積み上げ、あやまりの連絡をする。すると相手からは亀の写真が送り返されてきた。空いた時間で上野公園を散歩していたら亀おりました。そうですか。

 今度は鍵があります。あの日鍵を交換してもらったおかげで私たちはなにごともなかったかのように粗末なソファに座り、フィンランド語の名詞の格の多さで腹を抱えて笑った。家が、家の、家を、家として、家になる、家の中で、家の中へ、家の中から、家としてってなに。

 この男は私のTシャツを借りてパンパンになったり、『世界の車窓から』のベラルーシ編をプライムビデオで見たり、ロシア語で行われているベラルーシ語講座の動画を見たり、私のPCのデスクトップ上に見つけたPapers, Pleaseをプレイしたりする。

「言語設定ロシア語にもできるんだね」と男が言った。

「ロシア語でやってみて。ぽいから」と私が答えた。

「俺はわかるけどあなたがわからないじゃん」

確かにと思った。私は日本語しかわからないのだった。

 膝の上に乗ったあたまをなでていたら次の日の朝だった。顔を捏ねていたら偶然、いい眉の位置をみつけた。

「今度美容院でこの眉の形にしてもらいなさい」

形や色を認識する能力が弱く、服を選ぶのが苦手だと話していたのを思い出した。形や色を認識する能力が弱いからここでこうしているのだろうか。ぼくの下卑た手はこの男の腕や胸をしきりに触っている。

 私は日本語で書かなくてはいけない。その人の利き腕でないほうの腕が前に投げ出されている。天井を向いた手首が目のはしに映ったとき、急に許せなくなった。それから音信はない。