かねて聞いていた身体的変化が出始めたのを契機にもう、父親とは銭湯に行かないことにした。わたしはそのころから毎日、なにかを誤っているような気がしているし、大抵みんなそう。
諸尊
浴場のタイルに足を踏み入れるとまず、右奥の薬湯に一番近いカランが空いているのを確認する。空いていたのでその席をとる。
立方体の浴槽に湛えられた茶褐色の湯はいつも人肌程度の温度に保たれており、それは長く風呂に浸かりたいぼくには好ましい温度だった。
その日は、男湯のどこからかわんわんと反響してくる威勢のいい談笑を聞きながら髪や体を洗った。夜のあまり賑わっていない時間に来ているので若い声がするのは珍しい。
さて風呂に浸かろうかというとき、この威勢のいい声の主たちふたりがすぐそばの薬湯めがけて歩いてくるのを背中で察し、その威勢のよさになぜか身動きがとれなくなった。壁に貼られた丸い鏡で自分を見るふりをする。ふたりの男の体積のぶん溢れだした薬湯を足の裏に感じる。彼らがそこをどくまで、体を洗う工程をもう一度ゆっくりやり直すことにした。
しかしこのひとたちはここはぬるいねなどと言いながら全く湯から上がるようすがない。三回目の洗髪に突入しかけたころ、特に威勢のいいほうの声がこちらにむかって飛んでくる。
「お兄さんもしかしてここ待ってますか」
ぼくはバレてしまった。はっとしてその人のほうを振り返ると、
「いえ、大丈夫です」
にこにこした球体が浴槽のへりに乗り出してこちらをのぞいていたので、ぼくもなるべく笑顔で首を横にふる。奥の方にいる比較的赤ちゃんの度合いが高いほうの人は微笑んでこちらを見たままなにも言わなかった。
「一緒に入りましょう。寒いですよ」
断る理由もないのでじゃあと言って立ち上がり、湯船のなかに片足を突っ込む。同じような形をしたふたつの体は、三人には小さめの湯船のなかをきもち端に寄って、ぼくのための湯を割りあてた。
「お兄さん何歳ですか」
「14歳です」
そしたらもうすぐ高校生ですね。高校は楽しいですよ。自由ですからね。俺も高校のときの先輩にめちゃめちゃ面白い人がいて、その人が彫師になって、俺彫られちゃってこんなことになっちゃったんですけど。えへえへ。
とめどなく発話しているのは、ぼくのすぐ隣でぷかぷか浮き沈みしているほうの赤ちゃんだった。その肢体の全面には和彫りが入れられている。神仏や伝説上の生き物たちがつるつるの体のうえに住み、一緒に薬湯のぬるさを褒めていた。来迎図のまえでぼくの身体は木の枝のようであった。
「お兄さんなにか部活やってますか。俺は高校のとき植物部でした。こんな見た目なんですけど意外と」
「なんだっけおめえの好きな草」奥にいる赤ちゃんが言った。
「ミドリクサ」
「なんなのそれは」
「ミドリクサ、山に生えてんの」
「なんなの。聞いたことないのよ」
この和彫りとは何度か会うことになるが、生業についてもミドリクサについてもよくはわからなかった。
「文芸部ってなにをする部活なんですか」
和彫りの住んでいるところはぼくの家と同じ通りにあったので一度、一緒に歩いて帰ったこともあった。そのころぼくは高校生だった。
「小説の真似をしたり、みんなで短編を募って製本したりする変な部活です」
「マジすか。俺もそういうのやりたいんですよ」夜道にはぼくがぼくの自転車を押すカラカラという音のほかは和彫りの威勢のよさだけがあった。「マジで原稿用紙買いました。マジで」
それで俺のいままでの人生を書き綴ろうと思ったんですね。自伝を書こうと思ったんですけど、なんか俺漢字が書けないんですね。ずっと気億って書いてて、なんか変だなとおもって調べてみたら記憶でした。
和彫りが飲んでいる缶ジュースは、風呂屋のカウンターでぼくにも買い与えようとしたのを、断ったものだった。歩いてる最中にもしきりに「飲みますか」と聞いてきたが、ぼくは大丈夫ですとだけ言った。
「おれっちここなんですよ。寄っていきますか」
「大丈夫です」
「桃鉄ありますよ」
「大丈夫です」
ここによく白い車停まってると思うんですけど、それはおれっちの車です。今度高校のときハマってた遊び教えてあげますよ。メアドめちゃ簡単なんで覚えて帰ってください。yourway@ezweb.ne.jpです。困ったときはメールくださいよ。あと文化祭行きたいんで誘ってくださいね。
「大丈夫です」
まあそうっすよね。こんなのが来たら事件になっちゃいますからね、えへへ。じゃあまた一緒にお風呂入りましょうね。
その次に会ったとき、ぼくは一向に大丈夫ではなかった。和彫りもまえのようにはにこにこしていなかったし、遠慮がちに「こんばんは」と言っていた。脱衣所で入れ違っただけだったが、お互い背中を向けたあと、和彫りと一緒にいた男が私のことを尋ねているのが聞こえた。
「だれっすか」
「うん、ともだち」
それから和彫りは姿を見せなくなった。ぼくもぼくで、和彫りのことは忘れた。
大学に進学した年の秋ごろ、馴染みの風呂屋が店を畳んだ。最後の日には女将がカウンターから出てきて、「いままでありがとう」とタオルやら石鹸やらの入った紙袋をそっと手渡してくれた。そのときにふと和彫りを思い出したのが、一度目。
私は二十六の年を終えようとしている。たしか初めて会ったときの彼らと同じ歳だ。いまふと和彫りを思い出したのが、二度目。
稲妻
フトアゴヒゲトカゲは十年生きる。
葛西臨海公園駅は疫病特需で不謹慎にも大賑わいで、連休を利用して訪れた人々で溢れかえっていた。すぐとなりには米国生まれの鼠人間を呼び物にした遊技場がある。あちらの駅を通り過ぎてこちらの駅まで乗る人などは平時であればほとんどなかったが、いまは全く逆転している。
駅舎の横にはつい三年ほど前までは高架のコンクリートが丸出しになったようなファストフード店の一店舗があったがそれも潰れ、ついになにもなくなったかと思われたものであったが、このごろの集客に目をつけてか便利屋も喫茶店も、なにやら料理屋と土産物屋が一緒になったような、若い人が地域を興すために考えそうな洒落たものまでできたりしていた。
それらを通り過ぎて、指定された場所、交番横の木の下の、花壇だか噴水だかの石の構造のうえに座って本を読んでいる人がおそらくその人だったので、そっととなりに座った。いまは春の暖かくて、柔らかく曇った昼すぎである。
私たちはどうだっていいことを話しながら、画面越しに三か月ほど続けてきた文通のそのまた続きを口でしながら歩き、やがて人の少なく静かな松陰の、池のあたりを見繕った。冴えた土の上には涸れた松葉が降り積もって、絨毯のよう。池の向こう側では子どもたちがゴム球を蹴って遊んでいる、ぬかるみにも関わらず。
そのひとはふたりで座れるおおきさの化繊の風呂敷をおもむろに手提げから取りだし、土の上に広げた。池にむかって谷になった斜面が座るによい角度だね、そうですねと言い、そこでおのおの持参した昼飯を取りだした。
天丼と揚げた鶏を持ってきたこの人は、揚げた鶏の一枚を私に分けあたえる。皮の濃い味をおかずにして、私はパンを食べた、西船橋駅にあるパン屋で買ったパン、柔らかいパン。
「ミントをたべちゃったりして」
食後薄荷の粒を上下の歯で挟んだあと、となりに座っていた人は消化のためにあおむけに寝そべった。それに倣って私も体を倒した。太陽の位置がわかるほど明るいのに、薄曇りはサクマのいちごミルクの舌ざわりをしている。あとから思えばわざわざだれも見ていない場所が選ばれたのに、空に生えた松の葉ばかりを観察していたのは妙だった。この人が鳥類園の高い生垣に蔓を伸ばして開いている突飛な花たちに足をとめたとき、
「なにこの花は」(小さな花はいくつかの部品に分かれている。基底に白い花弁があり、そのうえに紺色の環のようなものが重なる。よく見るとそれは花芯から放射線状に伸びた細かい毛の先端の青色が連なることで表現されている。おしべだろうか。その中心には人工物をおもわせる構造体が突き立っている)
私は確信した。間違っていようと合っていようと、確信した。
「トケイソウです」
これは昔から母がよくいう花の名前だった。しかし実物を見たのはこれが初めてだった。それなのに私は確信している、これはトケイソウだ。どう見ても時計の形をしているし、この花以外にトケイソウと呼べるほどの花はない。
「ほんとうに時計みたいな形をしていますね」
「ええ」
桜、蒲公英、時計草。文字盤の0から6では、きっと私のなかの少しの善意に免じて神様は、しかたなく平等に祝福を注いだのだと思った。でも6から次の0では、母から継がれた花の名の持ち主を知るに至ったこの日の物語性は、解けることのない呪いになるのだと予想した。私は永遠にこの日やこの人を忘れることができないのだ、時計草の名のもとに。
犬を散歩させている人たちを指してはああいう犬は嫌いだのこういう犬が好きだの、こどもを遊ばせる檻のなかにいろんな子供が一緒くたにされているのを指してはあれの親はどれだとかこれとそれが兄弟だろうだとか、東京湾に面した岸を隙間なく埋め尽くすようにして並ぶ蟹釣りの子たちの臀部をみながらああいうところにはあまりいないよと笑ったり、こういうところにもいるんだねと感心したりした。その全行程中ずっと、この人はくしゃみをしている。ひどい花粉症なのだった。会うまえから読んで知っていた。
さっき油ものだったから比較的あっさりしていそうな韓国料理にしましょうか、日暮れから逃げて新浦安までたどり着いた私たちは向かい合って座った。それぞれなにがし定食とやらを頼んで、さらに韓国風茶碗蒸しと銘打たれているものが気になったのでそれはふたりで分けることにした。それは銀色の丸い器に詰め込まれていた。半分ずつ匙で崩して食べた。
「底の部分は食べないほうがいい気がする」底の焦げ付きをこそいで食べようとした私は心配された。「しょっぱいから」
「それってほんものですか」私は右手の拳を相手にみせて答えた。
「なんですか」
「指の」
好きな季節についてわざわざ何行も書いたことなどなかった。よくも知らない植物や爬虫類のことを聞いて嬉しくなったことなど一度もなかった。だからといって私はいつのまにか所有しようとしている。右手の人差し指にある雷光を象った刻印が、神の怒りに代わってこの傲慢を罰した。
「いいな、ぼくも挿れたいなあ」
ちょうど指環の石がくる位置に。
「それって、合わせて言ってくれているだけですよね」
「いいえ。結構本気です」
「ぼくは好きでやってますから。でもおすすめはしません」
そのあとのひと月ほどのあいだに徐々に減っていった私の分の言葉に苦しんだ。私に向けられるはずだと勝手に思いこまれていた言葉たちが減っていくのを日々感じるたびに、その出処を突いたり叩いたりした。しまいには壊れてしまった文字盤の上で針を進めては泣き、進めてはフトアゴヒゲトカゲへの転生を夢見た。
切創
さっきまでいた教習所の所内やバスの車内、ポケットのなかもかばんのなかも探したけれど見つからないのに🎶
「すみませんけど合鍵が見当たらないので自分で壊してもらってください、では」とだけ嬉しそうに言い残して、じゃらじゃらと鍵の束を鳴らしながら去っていく大家。ヤバいなあと思った。鍵を失くした私が百パーセント悪いんだけどざまあ感出してくる大家ヤバいなあ。
管理会社に電話をしたらわかりました、鍵の会社から折り返し電話がありますからそれまで待っててくださいとのことで、私は近所の寺の境内に立つ柳の木陰で涼んで待った。夏の暑い正午の鐘が聞こえた。それからまさか日が暮れるまでなんの音沙汰もないなどとは想像もしなかったが、日が暮れるまでなんの音沙汰もなく、ただ灼熱の屋外で六時間ほど耐えた。
「本日はもう営業を終了しますので、うかがうのは明日の12時ごろになります。四万七百円現金で御用意ください。それでは明日よろしくお願いします」
本日の12時に電話をしたのですがいままでの空白の六時間はなんなのでしょうか。それ以上に鍵がどこに行ってしまったのやら、ひとりでどこかに歩いていってしまったとしか言いようのないなくなりかたが不思議で、もうなにも驚かなかった。じぶんのせいだから。
近くの漫画喫茶に入って『夫のちんぽが入らない』と『団地ともお』を積み上げ、あやまりの連絡をする。すると相手からは亀の写真が送り返されてきた。空いた時間で上野公園を散歩していたら亀おりました。そうですか。
今度は鍵があります。あの日鍵を交換してもらったおかげで私たちはなにごともなかったかのように粗末なソファに座り、フィンランド語の名詞の格の多さで腹を抱えて笑った。家が、家の、家を、家として、家になる、家の中で、家の中へ、家の中から、家としてってなに。
この男は私のTシャツを借りてパンパンになったり、『世界の車窓から』のベラルーシ編をプライムビデオで見たり、ロシア語で行われているベラルーシ語講座の動画を見たり、私のPCのデスクトップ上に見つけたPapers, Pleaseをプレイしたりする。
「言語設定ロシア語にもできるんだね」と男が言った。
「ロシア語でやってみて。ぽいから」と私が答えた。
「俺はわかるけどあなたがわからないじゃん」
確かにと思った。私は日本語しかわからないのだった。
膝の上に乗ったあたまをなでていたら次の日の朝だった。顔を捏ねていたら偶然、いい眉の位置をみつけた。
「今度美容院でこの眉の形にしてもらいなさい」
形や色を認識する能力が弱く、服を選ぶのが苦手だと話していたのを思い出した。形や色を認識する能力が弱いからここでこうしているのだろうか。ぼくの下卑た手はこの男の腕や胸をしきりに触っている。
私は日本語で書かなくてはいけない。その人の利き腕でないほうの腕が前に投げ出されている。天井を向いた手首が目のはしに映ったとき、急に許せなくなった。それから音信はない。