試論

恥さらしによる自我拡散改善法を中心に

ふよう

 だれかも植物が好きだったなあと悔しかったやっと忘れられたと思ったのに。

「ひとりくらしするようになったらこういう花を置きたいな」

「ふようさんお花好きですか」

「はい植物好きの母のせいで家のなかが植物だらけなのです」

本名は蓮。れんとよむ。さようならをして夢のままぼんやり電車にのり上総に入ってから醒めて、余韻を深く吸い込んだ。芙蓉とはその別名である。「もしかしてそうかなと思いました」良い妄想だったのだろうかあれはうつくしい。

 ルミネのエスカレーターをくだる白いうなじの剃りあとを見たときの生理反応を恥じ、嫌悪した。小さな花弁の密集した赤い芯のぶぶんをめちゃくちゃに嗅ぎ毀したい欲求に気づいた。生まれてはじめてそんなことをおもった、生まれてはじめてこんな気持ちになりましたからといって? ひとから見れば他の獣と同質の新しい欲というだけで、悲しみの糸は私だけのなかで完結する輪、永遠にひとりの悲しみ、何度重ねてもその先に虚空しかない孤独の心づもりを、よく晴れてビルの真っ青な陰に殺されて。

Oread 
Whirl up, sea—

whirl your pointed pines,

splash your great pines

on our rocks,

hurl your green over us,

cover us with your pools of fir.

(Oread by H.D.)

(拙訳)

山のニンフ、オレイアス

うずまけ海、

うずまきあげよ鋭い松

しぶきあげよ大きなる松

われら岩々に

うちつけよ、緑を

抱けよ、樅だまりのなかに

 海と森のイメージが同居する。この詩の題名はなぜOread(オレアード、オレイアスの英語読み)なのか。ギリシア神話を主題にしているわけではないこの詩がことさらOreadと題される必要はあるのか。

 

 気持ちの変なまま寝た因果か、ほとんど夢をみないたちなのに久しぶりに悪夢という悪夢をみた。兄が怒り狂っていた。お前はじぶんがなにしてるのかわかってんのか。いつまでふらふらしているつもりだ。大学留年して、就職もしないで。そのままじぶんのことばかり考えて生きていくのかよ。

「お兄ちゃんだってそうじゃん。ぼくのなにがわかるの」

私は家を飛び出して自殺しに走る。江戸川は静脈血の色をしていた。

 いや、お兄ちゃんは公務員だし兄弟のなかでは一番賢くて顔もよくて孝行したのに、一番可愛がられなくてかわいそうだったよね。あの子も公務員だったな。生まれてごめんね。ばくばくする心臓を抑えながら布団の中で祈った。数年ぶりに見るはっきりした夢がなぜもう三年近く顔を合わせていない兄のことだったのか。

 ぼくが生まれなければ兄はもう少し楽だったといつもおもう。ぼくが両親の甘やかしを一身に受けて放蕩しているのを兄は。正夢かもしれない。

「平井くんやめちゃうんだってね。なんで」

閉店間際のブロッコリーをコンテナに移し替えているところに、佐知子が話しかけてくる。

「頭がいい子なの。こんなところでバイトしてる場合ではないのです」

ニ年前に聞いたときには弁護士になりたいと言っていた。

「国家受けてみるのは? あの子は高卒だったから県職員だけど。教員免許もいいね、英語の先生になるのどう」

私が大学に入ったとき、子供を大学に入れたのがはじめてだったので母は浮かれていた。私より頭がいいのに経済的理由で高卒のまま働かされた兄たちですらすこし浮かれていた。

 それがいま、腐ったねぎと腐ってないねぎを仕分ける仕事をしています。エプロンに腐りねぎのにおい。

 バイト先に29歳のフリーターが入ってきた。背が高くかわいらしい顔をしているのでパートの姉さんがたははしゃいでいる。私は出納室に入れる権限を使って人事カードを見て学歴を確認した。汚い手は何度洗ってもねぎのにおいが落ちない。

 青く透き通った酒瓶を抱えてすこし猫背でうろうろしているところを捕まえてぼくは、棚を指差して場所を教えてやったりした。

「焼酎こっちですよ」

「れんと」の瓶。れんとよむ。

これが愛じゃなければ何と呼ぶのか

僕は知らなかった

呼べよ 花の名前を ただひとつだけ

祭典は開かれた。店内の有線はスポーツに関係して作られたらしい同じ曲ばかり流している。

「電車の窓から見ましたか、あれ」

「なんですか」

ブルーインパルスです。空に五輪を描いてました」

勝手にパスタのお店だと思って順番を待つための席にふたり腰かけてみたら、手渡されたメニューにはうどんしかなかった。うどんがパスタの皿と味なのだ。店に入ってから彼はそわそわ「よく見たら女の人しかいない」していたが、ぼくの向いている方向にはひとりでくるおじさん用らしい席が見えたし、なんなら女の子が座る方の席に通されたということは僕たちが女の子のなかに座らせても問題ないように見えているということだから自信を持ちなよと言おうと思ったが、上品な顔つきでうどんを啜るのに見とれていてそれどころではなかった。

 食べ終わったあとの、フランス料理に使うような余白の広い皿の余白部分に、なにか香辛料らしい粉末が飾りでばらまかれているのを指して、

「食い散らかしたみたいでいやです」

ことばが胸を貫く。

「泡切れ悪くてかったるいんじゃない?」

fumioさんからの返信を思い出した。あのときはLINEだったから想いを伝えることが叶わなかったが、このときは咄嗟に言った。すごくいいことばだ。

 
四匹のうさぎ🐰

 うさぎ小屋はふたつある。おすのとめすの。いっしょの小屋にいれるとなんか死ぬらしくて。長生きのうさぎが一匹ずつ、だけ。

 そこに四匹のこうさぎがやってきた。だれだか先生の家の近所にうさぎが生まれたけどゆき場がなくて、学校に寄付されたんだって。

 おすめすわからないから、まだ小さすぎて。めすの小屋に四匹とも入居した。

 もとからいる白うさぎは凶暴なデブうさぎだった。飼育委員のしごとは過酷で、たいあたりをしたり噛みついてくるこの子をよけながら小屋じゅうに散らばったうんこを掃除しなくちゃいけない、こわい。世話が終わると小屋のすみでむっちゃりと座って、ふてぶてしい。かわいがる隙などないひとつも。ただこわい。たぶん、あの子は孤独でこころがだめになっていた。

 それで飼育委員のしごとって、うさぎを自由に触っていいにも関わらず人気がなかったというわけ。

 そこに四匹のこうさぎ、みんな片手にのるくらいのおんなしおおきさをしていて、色は別々で、かわいくてかわいくて。

 はじめ、もとからいた白兎がやっぱり四匹を近づけなくて、暴行を加えていた。餌場ももとからいたうさぎに占領されてしまうので、えさやりは手から直接一匹ずつ。

 それがふしぎなことに、しばらくするとこの白兎は四匹と一緒に小屋中を仲良く元気にかけまわり、人ともよくあそぶようになった。みんな驚いた、そんなふうな姿を見るのははじめてだったから。もうおばあちゃんで、そんな気持ちは残っていないのかと思ってた。でもやっぱりさみしかったんだね。よかった、うさぎらしくて。

 それからすぐ白うさぎは死んだ。

「ユキちゃんは天寿を全うしました」

教頭先生はそういってた。ああ、最期にはしゃぎすぎたのかな、でもはじめて友達ができてよかったね。

 

 四匹のこうさぎは大きくなって、耳が垂れた。そうかきみたちは耳が長い種類だったんだね。そのころには、朝夕、四人でするはずの飼育委員のしごとをぼくひとりでしていた。なぜそうなったのか、あたまがわるすぎて自分でもわからなかった。みんなが悪くて、ぼくをいじめていたようにも思える、でもぼくがなにか悪いことをしてその仕返しなのかもしれなかった。

 ある日の朝、いつものようにほうきでうんこをはいて集めていたら、ほうきの穂になにか重たい感触。どろり。小屋にあるのはうさぎが駆け回る足音だけ。

 目をこらして見ると、おなじかたちの肉の塊がみっつほどぽてぽてと転がっている。ほうきでつついてみる。やわらかくてなにか重くて、中身がつまっている。

 保健の教科書で見た胎児の図が即座に想起され、それがうさぎの嬰児であることを認識するまでに時間はそうかからなかった。

 

 だれがおすでだれがめすだったのか知らされないうちに四匹全員が去勢された。飼育委員は後期に入りメンバー交替で、また新しい人たちと、ひとりじゃなくて四人でしごとをするようになったからほっとした。

 でもひどかった。ほかの三人ははじめて飼育委員をする人たちだった。さいしょはうさぎのかわいさでまじめに来ていたけれど、一ヶ月したころみんなでうさぎを蹴飛ばしたりほうきで打ち上げたりして遊ぶようになった。

 ぼくはそれを見ていた。一緒になってそうしたかもしれない。そんなことも覚えていない。そうやって生きているぼんやり。しばらくしてほかの三人はうさぎを虐待するのにも飽きて来なくなって、ぼくがひとりでしなければいけなくなった。

 なんでぼくはいつもひとりになってしまうのか。雨の日の世話は小屋のなかが汚いのでいやだった。帰っちゃおう。小屋のまえまで雨音を聞いて歩いたらそれでやったふりをして帰ろうかな。

 四匹のうさぎは小屋のすみで隙間なく並んでいる。震えて餌を待っている。傘で目を隠そうと思ったけれど、一度目があってしまったからには。この子たちにはぼくしかいない。ぼくにはこの子たちしかいない。

 もう15年もまえのことだから、もうあの子たちは。

🐰🐰🐰🐰

 

 

 このあとどうしましょうか。雑貨屋でも見に行きますか。なぜかというと、雑貨屋に行くといろいろものが並べてあってそれを見ながらだと話が広がるじゃないですか。

「そういうメタレベルのことってふつう言わないですよね」

はじめて会ったひとに。

「そうですね。たしかにメタっぽい」しばらくして彼はくねくねと縮んだ。「ほんとうだ、すごく変だ。なんでぼくはそんなことを言ったのだろう……すごく変だ……」

 音や言葉や景色が目や耳を通過して腹の下にある架空の臓器に響く。声が変わったり必要のないものが生えてきたりしたのと同時にこの臓器は喪われたと思っていたが、違った。これは永遠に治らないし、苦しまないし、死なないから病気とは呼べない。たまに悪さをするのは飼いならせない脳が悪い。

 ぼくは馬鹿で、傷つくために時間やお金を費やす。馬鹿で馬鹿で手の施しようがない。死ぬまで治らない、死んでも死にたくない、死にたくない、この気持ちはどこにいくの? だれも抱きしめてくれなかった、かわいそう、障害、かわいそうでなにがわるいの? この気持ちはかわいそう。

 馬鹿だから、どうしようもなく馬鹿だから、真っ暗にした部屋でiPhoneの画面だけ光らせて、蓮くんのTwitterアカウントを探した。あった。こういうときにだけすぐに見つかる残酷な神様。欲しいものが、進むべき道が見つかったことなど思い返しても一度もないというのに。

 まだじぶんのかわいさに気づくほどの傷を負っていない肉体のふやけた白さ、百人一首を引用してそこに自分の慕情をあてはめて説明するあどけなさ、どんな男が好き? 花に似ていたね。どんな男になりたい?

「もっとこわい人が来ると思っていました」

君の嫌いな君に似ている僕。白くて小さくてかわいい君より少し黒くて少し大きくて不細工。しかしそれで、そんなことで悲しいのではなかった。別のだれかに宛てられた気持ちを僕が読んで返事を書いているなんて、狂っている。僕のしている人生はぜんぶぜんぶ。君は芙蓉、僕は不要。

 わたしとの相対としてしかあなたを捉えられない惨めさ。

 アメリカ詩の教授曰くO, readと。詩とは読まれるためのデバイスであると。

 ああ読んで。僕を読んで、読んで、お願い、探して、早く読んで、お願い、ここに来て、見つけて、一度だけ、きっと読んで、読んで、そうでなければ生きている意味がない。ぼくにはなにもない。手を伸ばしても届かない。走る足も伸ばす腕もない達磨。なにもない。特別ではない。型通りの達磨。ああ涅槃に咲くただひとつの花。君がいて、そこに、ずっと存在して、消えないで。読んで。もっと読んで。心から幸せを願っている、私のなかだけで完結する糸、糸、はさみ、身勝手に騒ぐ臓器、夜毎夜毎の慰め、はさみ、汚れた手、指環、環状の糸、心からあなたの幸せを願っている。